「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

〇HPはこちら(制作途上)
http://mirainsophia.net/

やはり宗教という言葉は壊したほうがいい

 心霊学やスピリチュアリズムというものは「宗教」というものを題材にしています。目に見えないもの、感じるしかないものなので、結局のところ心の感覚、感受性に頼る部分がけっこうあるからです。また、「神」を題材にする関係上、どうしても宗教という言葉になります。


 しかし、一度宗教という言葉を捨てたほうがいいかもしれません。


 そう思うのは、少なくとも日本の一般社会において宗教という言葉が相当悪いイメージに塗り固まっており、もう払拭できない段階にあるからです。この状況から改善するのはやっぱり無理かな、と先生は思っています。


 スピリチュアリズムという言葉をあまり使いたくないのも、こうした現状を踏まえてのことです。言語上、そう言うしかないので使っていますが、スピリチュアルという言葉自体が何か特別で不可思議なものというイメージを与えやすいのです。そう感じてしまうのも、まだまだ霊という概念が特別なものだからなのでしょう。


 先生が感じている霊とは、もっともっと自然なものです。


 人間が生きていること。自然に普段の生活をしている中で感じるものです。呼吸と同じように、生命活動と同じように、自然の景色を見て心が楽しくなるような、そんな当たり前のものです。


 何かの現象を起こすには、物的な手段と同じく条件を整えばなりません。紙を綺麗に切りたいと思ったら定規かハサミが必要でしょう? 霊だってそれは同じこと。両者に違いはなく、霊という存在もなんら特別なものではないのです。


 わざわざ宗教がなにやら、何を信じているやら、もうそうしたことなど無意味なほどに日々の生活の中にあります。それは自然科学と同じもの。そこの裏側で起こっている「真実」「事実」を検証したものであって、身構えるようなものではないはずです。


 それは結局のところ、既存の宗教が失敗した結果、完全に信頼を失ってしまったことを意味します。今の時代、もうその言葉に囚われる必要はないでしょう。先生が心霊学という言葉を主に使うのも、そうした誤解を避けるためです。まあ、学問という言葉も微妙なところですが、宗教という言葉は、まさにすでに「死語」なのかもしれません。


 これらは所詮、言葉遊びにすぎません。別になんと呼んでも結果は変わりません。が、差別用語が次第に減っていくように、そのうち宗教という言葉もなくなっていくのかもしれません。あるいは宗教という言葉が再び力を取り戻すか。…うん、ちょっと考えにくいですね。今の現状では特に。


 断っておきますと、先生はけっこう「創造側」にいます。古いものを壊して新しいものを創ることを好んでいます。これを即座に行うタイプの人間なので、こうして要らないと思ったものは「捨てたほうがいいよ」とあっさりと鞍替えしちゃったりします。昨日まで信じていても、信じるに足りえなくなれば、今日いきなり鞍替えしちゃったりするのです。


 これが人間関係だと最低の人間ですが、こと事実や知識に至っては非常に優れたスキルになります。


「あっ、君の意見のほうが良いから、僕もそれ今から使うわ」
「え? いいの? だって、あんなに好きだったのに」
「古くて性能が悪いものに興味はないからね。より良いもののほうがいいに決まっているよ」


 という軽い感じです。良いものはどんどん使ったほうが得ですからね。それだけのことです。こうして常に頭を柔らかくしていると、より良い知識と出会ったときにすぐに受け入れることができます。


 重要なことは固執しないこと。自分自身を一つの立場に固定しないこと。


 常に自分を第三者、部外者の立場に置くことでこれが可能になります。なかなか難しいですけどね。

物事を別々に考える

 先生の言葉もそうですが、世の中のすべての教育や哲学、宗教に共通するのが「いかに心を静めるか」ということです。いかなるときも心を平静にして、よりタフになる。それによって自己を確立しないと、他人を愛することや気遣うことができないからです。


 さて、前回は無視スキルによって自分に集中することを書きました。ちょうど今朝、先生がこのスキルを有効活用したので、本題の前に無視スキルの素晴らしさを説きましょう。


 朝早くから家の前で工事がありました。かなりの騒音です。でも、先生は二度寝がしたかった(!)ので、工事の爆音を「無視」することにしました。感覚を音から自分の中心に変えるのです。すると外で音は鳴っていても、たとえば水の中で聴く外の音、ぼやけた他人事の世界のように感じるわけです。


 意識のピントを外に合わせれば、工事の人の声も聞くことができます。また、それに感情移入することもできます。が、基本的には傍観者として、全体を見る感じの意識にしておくと、物事が起こるままにすべてを捉え、特に感情が乱れることはなくなります。


 そうして先生は無事昼まで爆睡した、というオチでした。


 これは、何が起きても平静を保つうえで重要なスキルです。先生の母親は感情的で反応的な人間なので、それと比べると非常に大きな差が出ます。一方は激しくうろたえて不安と恐怖に満ちている中、先生は非常に静かに心を整えています。なので未来に恐怖を感じることもありません。


 まずは反応しないこと。リアクションをしない癖をつける。これによって何か他人に言われても「ふむ、相手はそう思うのだな」と静かに状況を観察することができます。常々言っているように、反応的にならないことが重要です。それに慣れると簡単にこういう特技を身につけることができるのです。




 と、本題の前に長くなってしまいましたね。




 本日の本題は、物事を別々に捉えることです。

 前置きで長くなったので、こちらもまず少しだけにしておきましょう。


 今や人生とは、すべてが複雑に絡んだ状態を指します。たとえば、仕事だけ成功していれば家庭が台無しになっても大丈夫。などと考える人はもういないでしょう。家庭が落ち着かなければ仕事にだって影響が出ます。それで満たされることはありません。このように人間とはそれぞれの分野で独立しながらも、すべてが融合しているのです。


 そのために必要なのが人間力。おおもとになる力です。これがあれば、すべての分野で安定した力を発揮できます。そのための心の修行でもあるわけです。


 さて、今回の別々に考えるとは、先生が今までイライラしてきた原因を探究した結果、物事を別々に管理したほうが焦らないで余裕が生まれることに気がついたからです。


 まず最初の分野に、自分がやりたい楽しい仕事があります。学生のみなさんは、将来の夢でもよいでしょう。まあ、大人になってからも日々夢を追い続けるものなので簡単に言えば、自分のやりたいこと、です。この定義だと、誰しもやりたいことはあるので何事も当てはまるでしょう。


 先生が一番苛立ってきたことは、自分がやりたいことを邪魔されること。今忙しいのに違う方面から用事が入ってきたり、あるいは同じ仕事の関連でも、自分がやりたくない仕事が入ってくること。やりたくないけれど性質上やるしかないので、そこで心が乱されるというケースです。


 最初に答えを言ってしまえば、こうしてイライラするのは「やりたいことと他のことを融合させているから苛立つ」となります。


「せっかく今楽しい気持ちなのに、邪魔された」
「今そういう気分じゃない」
「そんなのやりたくない(やりたいことを止めてまで)」


 と思うから苛立ちます。


 ですが、これを「やりたい(仕事、物事)」と「家族」「それ以外の仕事」などと独立させて、まったく別のカテゴリーだと認識すると話は違ってきます。


 たとえば三つの箱があって、それぞれに世界が独立していると考えます。やりたいことをやっているときは、その箱庭の中にいますが、外から何かが来たとき、即座に違う箱に入るわけです。すると、まったく違う物事として対処できます。


 ある意味では「やりたいこと」の対極である「あまり関心がない物事」として客観的に対処できるようになります。これは複数の物事を同時に対処する方法でもあり、感情を即座に制御する少しばかり高等技術に入りますが、まずは無視スキルを身につけることによってこうした芸当が可能になります。


 で、これを利用すると嫉妬の問題も解決できます。


 たとえば、絵や文章を書くのが先生の仕事ですが、やりたくない仕事の中には「先生が本当はやりたかった仕事の模倣」や「それに関するお手伝い」が含まれます。もしこの状況で「やりたい分野」が他の分野にまで顔を出すと、非常に心苦しい気持ちになります。自分だって本当はそれをやりたかったのに~とか思ってしまうこともあるでしょう。


 そう、この箱の考え方は、ジャンルが同じでも成立するところに重要性があるわけです。


 同じ分野でも別の箱に入れることで、まったく別のものとして捉えることができて、嫉妬や羨望などによって心を乱されることがなくなるわけです。「それはそれ、自分は自分」と独立した考えによって、自分の仕事に集中することができます。


 これを若いみなさんがやれというのは少々酷な話。学生のころは誰だって激しい感情に身を晒されるものです。もちろん、大人になってからもあります。むしろ大人のほうが社会の影響を受けるので、お金や立場などを人一倍気にするようになるものです。


 ただ、若い頃からこうしたやり方を勉強しておくと楽になるのは確かです。先生が最近感じるのは、若い子もかなり二極化が進んでいるということです。自分で突っ走って最初から自分でやれる自立タイプと、仲間と群れあわないと不安になるような子たちです。もともと先生が前者のタイプだったので、もしかしたら先生が学生の頃からそうだったのかもしれませんが、改めて触れて「こんなにも精神的に幼いのか」と驚いたことがあります。


 正直、大学生でも小学生かと思えるような心の脆さを持っています。その原因は、自分を確立できていないからです。また、社会の誤った価値観を幼い頃から押し付けられた結果、他人の目ばかりを気にするようになってしまったのでしょう。


 一方、最初からできる子たちは、無視スキルをもう身につけているので、さっさと自分の道に入って成功していく人が多くなります。自分に集中するので当然ですよね。まさにわが道をいくのです。



 こうした無視スキルや物事の考え方は、誰であっても身につけることができるスキルです。なので、少しずつでもよいので自分の感情を制御するコツを見つけてくださいね。


 何事にも良い面と悪い面があります。その良い面を積極的に利用していきましょう。


他人のことを気にしないスキル

連日、テレビのニュースは他人のことばかりに熱中しています。
みなさんもそれを聞いて、不祥事に怒ったり、哀しい出来事に泣いたり、あるいは芸人の番組で笑ったりしていることでしょう。
それはそれでかまいません。そうしたことも経験になります。


がしかし、現在の社会はそれが行き過ぎています。
いつも他人のことばかりに意識がいってしまって、相手の反応ばかり気にする
たとえば、ツイッターやLINEなどのSNSの出来事に一喜一憂してしまう。
返事がなかったり、相手に注目されることばかりが気になってしまって、
自分の生活が疎かになってしまうことは多いでしょう。


これは学生に限ったことではなく、大人だって同じことなのです。
最近は週刊誌のスクープが話題になっており、さしてどうでもよいこと、
あくまで個人の問題のことなのに世間が騒いで、それによって混乱を引き起こしています。
メディアも監視という役割があるので絶対に悪いわけではありませんが、
これではまともな社会が形成できるはずもありません。


さて、そこでみなさんはどうするか。


まず必要なのが、他人のことを気にしないスキルを身につけることです。
これは言い換えてしまえば


「無視をするスキル」=「自分に集中するスキル」です。


世の中では、現代社会の弊害として無関心が取り上げられることがあります。
当然、相手に興味を示さないのは問題ですし、困っている人がいれば助けるのは当然のことです。


しかしこの無関心が、みなさんを救う最高のスキルになることがあるのです。


物事は何事であっても良い面と悪い面があります。
毒だって正しく使えば薬になるわけです。
逆に薬であっても、量が多すぎれば毒にもなる。これを知っておきましょう。


もしみなさんが他人を助けたいと思うのならば、まずは自分を鍛えねばなりません。
自分自身がしっかりしていないのに、どうして他人を助けられると思えるでしょう。


ここでも一例を挙げてみましょう。


もしみなさんが正しいことをしても、思ったような反応が返ってこないことがあります。
身近な例でいえば、電車やバスで席を譲ったら、相手が怒ってしまった。
その結果として譲ったほうが気まずい思いをして腹が立った、とか。
救助された若者が助けられたことにキレた、とかいう話も聞きますね。
などなど、正しいことをしても、その通りの結果が戻らないこともままあります。


そうしたとき、自分に準備が整っていない場合だと、
「こんな思いをするなら、もうやりたくない」と思ってしまうかもしれません。
それによって、譲りたいのに過去のトラウマが邪魔をして、
なかなか動けなくなってしまうこともあるでしょう。


しかしそれは、自分自身に準備ができていないことを意味するのです。


みなさんが日々自分のことに集中して、確固たる自信と意思と力を身につけていれば
もし自分を否定されても気にならなくなります。
当然、相手の未熟性を見ても「今、この人は機嫌が悪いのだろう」「将来のことに不安で、心が落ち着いていないのだ」と見極めることができて、常に心に余裕ができるのです。


SNSで返信がなくても気にならないですし、
何かあっても受け入れられるようになります。
そんなことに気をとられず、もっともっと楽しいことに意識を向けられます。


結果として、みなさんは「幸せ」になります。


幸せとは、心の静かさのことを示しているからです。
どんなに物やお金があっても心休まらない日々ならば、それは地獄と同じなのです。



みなさんは、日々多くのストレスに晒されているはずです。
そして、真面目なみなさんは、すべてに向き合うことが正しいと思っています。
ただ、それでは心が疲弊して余裕を失い、自分も他人も傷つける結果になってしまうのです。


まずは他人を気にしない。
他人の言葉に左右されない心を身につけるために、自分のことに集中してみましょう。


薄情に聞こえますか?
まあ、きっとそう聞こえるかもしれませんね。
されど、人間の魂というものは孤独の中にあって成熟していくのです。
自分の個というものを突き詰めた先に、他者との調和があるものなのです。