「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
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不満は常に自分の中にある

何かに不満を抱いたとき、たいていの場合は自分の中に問題があります。


そのときはそう思えなくても、すべては自分への不満であることが多いのです。


人間の性質上、何かあると大きな視点から物事を言いたくなります。
たとえば、無駄な消費を見て「今困っている人がいるのに、なんて勿体無いことを!」と思ったりします。


それが倫理観や、道徳観から見ていればよいのですが、
特定の人の行動が目に付いたり、妙にむしゃくしゃしたりしていれば、
それは間違いなく自分への不満が表面化した証拠です。
この場合、原因は自分への不満にあります。


極端なことを言えば、人間というのは常に「建前と本音」を常時使っています。


それは地上で生きている人間ならば、至極当然で普通のことですから
自分はなんて卑しいんだ、とか思わなくて大丈夫です。


ただ、これを知ることで、自分の大義名分による相手への攻撃の大半は、
自己の欲求不満から来ていることがわかります。


私も、この社会をよりよくしたいのは、自分がそのほうが都合が良いからです。
ある意味では、自分が楽になりたいから、もっと社会を良くしたいと思っています。
貧困をなくしたい理由が、自分がもっと物的に豊かになりたいから、でもよいわけです。


大切なことは、何かに苛立ちを覚え、それに対して大きなことを思ってしまったとき、
一度冷静になって自分の現状を分析してみるとよいでしょう。
すべての原因は、必ず外ではなく内にあると気が付きます。


そうなると、他人への攻撃をしないで済みます。


ここが重要です。


「あいつは、こうで、こうだから、ほんと最低なやつだ」


というのは、まるで意味がない批判です。
その人が重要な職についていて、どうしても批判しなければいけない場合を除いて、
たいていの場合は、自分の中でけりをつけるほうが妥当であり、
そのほうが正しい場合がほとんどです。


結局、他人は他人の責任で生きています。


仮にその人が間違った行為をしても、責任を取るのはその人です。
社会が責任を追及できずとも、神の法則によって罰せられます。


そう、これがあるから平等なのであり、自分は他人の成長に責任を負わない、というのが大原則なのです。
だから、他人を許せるわけですね。
言ってしまえば、「あーあ、後で痛い目に遭うのに・・・かわいそうに」と思えるわけですから。


もし冷静になれない場合は、運動するのがよいでしょう。


無心で有酸素運動をしていると、だんだんと心が落ち着いてきて、
一種の瞑想状態になることができます。


自分の中にある、黒いものを吐き出すイメージで、ひたすら呼吸をしていると、徐々に胸のつかえが取れてくるはずです。


もしあれなら、神様に祈ってもよいです。
「神様、どうか自分の中からこの感情がなくなりますように」等々。
文言は自由で大丈夫です。


また、瞑想やら祈りというのは、
座禅のように黙って座っていなければできないわけではありません。
インディアンしかり、踊りながらハイになる(その状態に至る)ことはできるので、
それぞれ自分に合ったやり方を試すとよいでしょう。


不幸であれ幸運であれ、すべての原因は自分にあります。
そして、自分の行動と気持ち次第で、今を自由に制御できるのです。
物的環境は変えられずとも、心は常に自分で支配できます。


幸せとは、心の落ち着き、安定です。
自分を常に制御できれば、その人が貧乏で孤独でも、最高の幸せものなのです。
たしかに地上で見れば、その状態は寂しく見えるかもしれませんが、
心の世界、霊界に赴けば、その人が偉大であることが一目でわかるでしょう。