「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
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逃げるのではなく克服すること

新聞に人生相談って載っていますよね。
先生もまず質問を見ながら、答えの欄を隠して
「自分ならばどうアドバイスするだろうか」と考えながら見ています。
先生も心霊学を学んでから多少人生相談をやっていたので
この回答者さんはどんなアプローチをするのだろう、と気になるわけです。


人生を観察して生きたり、啓蒙本などを読んで勉強していくと、
だいたい人間の行動パターンというものがわかってきます。
会話のテクニックにしてもそうで、自分が私生活で感じた違和感を突き詰めると
いろいろな原因と結果がわかってくるものです。
何事も知っている人にはたいしたことなくても、
知らない人にとっては衝撃にも等しい叡智となります。


さて、こうして見ていると色々なアドバイスの方法があります。
厳しく言うパターン、同情を示すパターンなど、人それぞれです。
前にも言いましたが、人間には自尊心がありますので
まず相手が興奮している場合、一方的に疑心暗鬼になっている場合は
後者の同情を示す手法を使うことが多くなります。


まずは同意してあげて、
その人に「自分は味方である」ということを意識させるわけです。
なぜこうするかといえば、こうしないと話にならないからです。

一方的に知識を押し付けても受け入れられないのが人間というもの。


これも会話のテクニックで話したように、まず相手の話を聞いてあげて
相手を満足させてからこちらの意見を言う、というもの。
相手から聞くスタンスを得られないと、どんな知識も無意味になるのです。
一度自尊心が受け入れ拒否の態勢になると簡単な道理も通じません。
相手の言うことはすべてシャットアウト、となってしまうからです。


まったく人間って面倒くさいです。
でも、これが人間なのでこういう手法を使うのです。


反対に厳しく言うパターンもあります。
これはこれで使いどころが難しいですが効果がある方式です。
明らかに常識を外れた考え方の場合、(当人はそう思っていない)

ショックにも似た衝撃を与えて目を覚まさせるというもの。

その人が自分の中で正しいと思っているほど、びっくりして動揺しちゃいます。
「え? これって常識じゃないの!? 本当!?」って感じで。


この場合、そもそも同意を求めている時点で、その人はあまり心が強くありません。
本当にわが道を行く人ならば、最初から他人に意見を求めませんからね。
「周りだってそうでしょ? だから私だって」という考え方なので、
それが違うと悟るとショックを受けて、意外と簡単にひっくり返ることもあります。

これも人それぞれですが、心がふわふわして定まらない人には有効です。
特に不倫などの危ない相談に関してよく用いられます。
緊急性が高いのと、明らかに人生を破壊しかねない状況にあるからです。
この場合は、はっきりと述べたほうが良い場合も多いです。



また前置きが長くなりましたが、本日の本題はこれ。


本当の力とは、逃げることではなく克服すること。


です。


こうした相談の回答を見ていていつも思うのが、
「家族が嫌ならば、家を出たほうがいい」という回答が多いこと。
先生としては、これはあまりお勧めしない方法です。

なぜかといえば、逃げ続けても解決しないからです。


もちろん、距離を置くのは悪いことではありません。
一度自分を見つめ直すことにもつながりますし、
離れてから感じることも非常に多いです。

ただ先生は、それよりもっと高度なことを要求します。

目の前に嫌なものがあっても気にならなくなる。つまりは克服することを求めます。


本当に克服すれば、どんな中毒でもやめられます。
たとえばタバコや麻薬にしても、逃げ続ければたしかにやめられますが、
また目の前に現れたらどうしますか? また逃げますか?
一生避けられるものならばともかく、家族やその他の密接な問題だとどうします?
無人島にでも行かない限り、逃げ続けることはできません。


でも、克服していれば、たとえ目の前にあっても同居していても大丈夫。
何も気にならなくなります。
「あー、そんなものもあったな」程度になり、
タバコのような物ならば、大掃除などを契機に自然と消えていきます。


つまり、より強い心を身につけることを推奨しているのです。

しかもこれは当たり前ですが、逃げることよりも難しく、
非常に大変な修練を積み重ねる必要があります。


嫌いな人間を避けるのではなく受け止めるのです。
苦手なものを受け入れ、克服するのです。
簡単にできるわけがありません。

傷ついて、憎んで、それでまたやってしまったと反省して、少し改善して、でもまた失敗して泣き続けて、それでも我慢してまた突き進む。そこでまた改善して~を繰り返して、ようやく克服できます。


数年かかるのは当然。下手をすれば何十年もかかります。
しかし、一度克服したものはなくならないので、一生それに煩うことはなくなります。
また、そのとき得た心構えが参考になって、他のものにも対応できるようになります。


逃げたり距離を取るのは悪くないのです。
これは大切なので何度も言っておきます。
ただ、先生は心霊学を知っているので、

自己の環境は生まれる前に自分の霊が選んだことを知っています。


そうした事情を知っていると、家族間にはお互いに学ぶべきところがあることを知るのです。


先生の母親は愚かです。常に恐怖していてかわいそうにすら思えます。
が、基本明るくて他人からよく声をかけられますし、
何よりも他人に気軽に与えることを知っています。


先生の父親は器量が狭いです。
他人に与えることは大嫌いで、自分のことしか考えません。
でも、すごく真面目で、こつこつと地道に仕事をこなしてきました。


たしかに悪いところは目立ちますが、
両者の長所とも先生には足らない要素です。
また、先生の長所も二人にとっては足りない部分でしょう。

こうして家族というのは、お互いに学び、お互いを助け合うようにできています。


仮に先生が家族を見放してしまったら、
彼らは感情の統御ができないので喧嘩が多くなり、また賢明な判断もできなくなります。
また、先生もまだまだ彼らから学ばねばならないことがありますし、
正直にいえば嫌いなところも受け入れる訓練になるわけです。


嫌いなものを遠ざけるのは誰にでもできます。
でもそうすると、せっかくのチャンスを失うことになるのです。

嫌なものがあるということは、それを克服するチャンスなのです。


せっかくのチャンスを逃げてしまうのはもったいないです。
そのために地上に生まれたようなものなのですから。
みなさんが真の自由を欲するのならば、立ち向かって克服すべきです。
そうなれば、もう怖いものはなくなるでしょう。


先生が提唱している無視スキルも、克服するひとつの手助けとなるでしょう。
これは一緒にいながらも距離を取るスキルです。
これを得ればわざわざ逃げないで済みます。



例外として、暴力を振るうとかそういった危険な場合は即座に退避が必要です。
霊のカルマによって、そうした環境に置かれる場合があります。

たとえば、「前の人生で殺してしまった相手が親になる」こと。

これって非常に恐ろしい試練だと思いません?
自分は無抵抗な赤子。それをかつて殺した相手に託すのです。
この場合、自分がやったことが自分に戻ってくる可能性を受け入れる恐怖に加え、
相手側には憎しみを抑えるという試練が与えられます。


こういった厳しい試練はカルマの清算によく使われます。
殺した人間が悔いて霊が自ら望む場合と、
反省がない霊の矯正のために強制的にそうなる場合があります。
どちらにしても非常につらい試練となります。


ただ、こうした場合もチャンスがあるわけです。

ぐっと我慢すれば、その人生では幸せが訪れるような可能性を神は常に与えています。


殺された相手も憎しみを抑えて愛を与えれば赤子に通じます。
赤子に前世の記憶はなくとも、霊はそれを知っていますので、
後悔と悔悟の念を感じ、反省を促す結果となります。
愛は愛を返します。それによって人生は美しいものとなるでしょう。
憎しみが愛に変わるわけです。

そう、我慢。人生は我慢すると幸せになるようにできています。
そうして霊が強化されるからです。


克服して達観するともう欲しくなくなるように、

すべての根本は自己犠牲とそれに伴う無償の愛に導かれるようにできているのです。



自然のリズムに任せる

人間の身体がおかしくなるのは無理をするからです。
それは自然のリズムから外れるということです。


私たちはついつい過度な要求をして肉体を痛めつけます。
その結果として、身体が重くなって精神まで疲れてきます。
そこでまた無理をして身体が壊れて病気になるわけです。
人間の身体も機械と同じなので、とても簡単な理屈ですね。


すべてのものにはリズムがあります。
四季があって季節がめぐるように、身体にも周期があります。
それをバイオリズムとか言ったりします。
またそれは人それぞれに異なっています。


一番良いのが、そのリズムに身を委ねることです。
たとえば目が疲れたと思ったら目を休める。
疲れたと思ったら横になる。(疲れる前に休む)
精神に過度の刺激を与えない。
などなど、実に当たり前なことが重要になります。


理屈上では、肉体と精神と霊が正常ならば肉体は常に健康です。
ただ、これはなかなか難しいですよね。
肉体はいつも無理をしてボロボロですし、
精神は日々のストレスで疲弊していますし、
霊は我々が未熟がゆえに数多くのカルマを抱えています。
(現在進行形で生み出してもいます)


ここで重要なことは、そのすべてを自分で選ぶということです。


先生は昔、自分を傷つけるように生き急いでいました。
そういう人生があったからこそ今があるのですが、
思えばやらずに済めばよかったこともたくさんあった気がします。
そういう経験があるからこそ、今こうしてみなさんに伝えたいと思うわけです。

人間って、思ったより簡単に自分に優しい生活を送ることができるものです。
ただ昔は、「そんなの今の社会じゃ無理だ」と勝手に決めつけて
価値のないものを追い求めて自分を傷つけていたにすぎません。


今こうして自分で決断して自分の人生を生きてみて思うのが、
まさに「なんだ。案外簡単に手に入るものだ」ということ。
強情になって怖がって自分を傷つける生活を続けるか、
素直に自分のリズムに合わせた生活を送って幸福を味わうか。
それはすべて自分で決めることなのです。


何事も焦らないことです。
人間はいつも自然を壊そうとします。自分のやり方を押し付けようとします。
でも、すべては神様がつくったリズムの中にあるのです。
神がつくった世界なのですから、神に合わせないといけません。

肉を食べると身体(精神)が粗雑になる

人間は菜食動物として造られています。


ですから、基本的には野菜や果物、穀物などを食べます。
しかし、今の時代は肉食が当たり前のように横行していて、
何を食べようにも動物の肉が入ってしまっています。


さて、人間の霊体が考えることや思うことで作られるように
人間の肉体は食べるもので構成されます。これはよく言われることですね。
では、身体にそぐわない食べ物、ここでは肉食を指しますが、
それを続けているとどうなるか。


身体のつくりが粗雑になって、精神の制御を受けつけにくくなります。結果として、怒りっぽくなったり、反応的になりやすくなります。



ただし、これは自分で試した結果ですので、少し注意が必要です。


果たして万人に共通するかはわかりません(^▽^;)


先生は何事もまず自分で試してみることにしています。
心霊学で得た知識だろうが本で読んだ一般知識だろうが
まず自分で試して実験してみます。
会話のテクニックにしても自分で実践してみて上手くいったものを採用します。

まあ、だいたい良書に書いてあることは事実なので、
実践するとその通りになることも多いですが、中には性に合わないものもありまして、
そういうものは知ってはいるけど使わない、ということも多いです。

手に大怪我を負って血だらけになったときも
水で洗うだけにとどめて瞑想による自然治癒能力の向上および、
その回復具合を確かめたりしていました。
結果的には半年くらいでほぼ完全に治癒しました。
(さすがに穴があいた箇所には少し跡が残りましたけど)


が、これについては比較要素がないので、
通常の自然治癒なのか、それとも瞑想で効果がアップしたのか
まだちょっと確信がないんですよね。
年齢やその時の状況で違いますし、今でも比較対象があればよかったなと思っています。


とまあ、あくまで自分で実験して得た結果ですが、
個人的には上記の通り、肉類を絶つだけでだいぶ身体のコンディションは変わります。
よく言われるのが三ヶ月で身体は変わるというもので、
何にしても三ヶ月続けると何かしらの変化が出てくるものです。


当時の先生も、三ヶ月でだいぶ身体がすっきりした記憶があります。
また、今までかなり怒りっぽかったところがあったのですが、
感情が上がりそうになっても、身体があまり反応しなくなるので
そのまま鎮静化することも多くなってきました。


ただこれも、瞑想生活も一緒に始めた頃だったので、
単純に瞑想の効果かもしれませんし、先生の魂が目覚めた結果
精神が落ち着いた可能性も否定はできません。


何にせよ、肉食は神の法に逆らうことなのでマイナスの要素しかありません。
先生が感じた中ではこうなった、というお話として聞いてください。
しかも、これはあくまで自分自身(肉体)に関してのお話です。

動物を殺せば自然に悪影響を与え震災も増えますし、
人間自身の魂(これは人類全体)にも悪影響を及ぼします。
動物からも恨まれるわけですから、それも当然ですね。


今の子供が怒りっぽいのも、当然生活が慌しいのもありますが、
まずは何より食生活も大きく影響していると先生は思っています。

もしお子さんが癇癪を起こしやすい状態だったら、まず肉類を絶ってみてはどうでしょう。


安心してください。たんぱく質ならば豆類で十分補充できます。
実際に先生は、もう肉をまったく食べません。
その結果どうなったか。
太りもしませんし、身体は常に軽やかです。
神の法に従ってプラスになることはあれど、
マイナスになることは絶対にありません。


といっても、今は当たり前に肉が入っているので、
それを徹底するのは難しいことですね。
先生もインスタント系はもうまったく食べないようになりましたが、
大人だからできることかもしれません。
その意味で今の子供はかわいそうだなと常々思います。
嫌でも給食で食べさせられ、それに抵抗しても怒られて強引に食べさせられます。
それでは怒りっぽくなっても当然かなと。