「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

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受け入れること

すべての鍵は受け入れることにあります。


たとえば何かが起こって苛立つ、恐がる、感情が乱れる。
それはすべて自分が選んだ結果、起こることなのです。


究極的なことを言ってしまえば、
外で起こることはすべて自分の外側で起きていることであり、
それが何であろうと自分が反応しなければ意味を成さないのです。


たとえば、ここでもまた先生の母親に登場していただきましょう。
彼女は日々年老いていく自分に苛立っています。
足が動かないだけならばともかく、若い頃のように走り回れないことに苛立ったり、
いつまでも若い頃と自分を比べています。
あるいは他人と自分を比べて劣等感を感じたりしています。


もし彼女が受け入れることを悟る段階にまで達すれば、
何が起きようと動じることもなくなるでしょう。
お金がなくても、今生活できていることに感謝できるようになります。
他人と比べなければ、比べたとしても自分の良い場所がたくさん見えるようになります。

それは再三言っているように反応的にならない、ということです。


この段階に至るまでには長い修養が必要です。
これは人生を生きて、喜怒哀楽を経験した結果、
それが何であるかを知っているので動じなくなるということです。


これを若い学生のみなさんがやるのは難しいことです。
すべては魂の成長度合いの問題なので、
肉体と魂の年齢はまったく関係なく、悟りを開いている人ならば
学生だってそのレベルにいる人は当然いるでしょう。


そう、ここも重要です。


同じ経験をしたからといって、同じ結果になるとは限らないのです。


各魂のレベルもそうですが、その霊の性質によって受け止め方は変わります。
それが最高の刺激になる人もいれば、恐怖の刺激になる人もいます。


正直、先生より厳しい状況にある人はたくさんいるのに、
まだまだ反応的で強い欲求を抱く人たちがいます。
それは彼らにはそうした激しい体験が必要だということです。
その強い刺激によって魂が目覚めるまでは、しばらくそうしたことが続きます。


ともあれ、受け入れることを学ぶと人生はとても楽しくなります。
みなさんが嫌な問題に直面した時でも、それを楽しめるようになるのです。


ゲームに熱中している時に買い物を頼まれても、
努力して受験した学校に落ちたときも、
上手くいっているときも最低のときも、
その瞬間を楽しめるようになります。


みなさんが苛立つのは、そうありたい自分があるからです。
それ以外が目に映らないのは、そうした欲求があるからです。
それはそれで悪いことではありませんが、
浮ついたものに囚われていると感情を大きく乱すことになります。


今起こっていることを素直に受け入れる。
むしろ楽しむ。


これができるようになれば、もう恐いものはありません。
事故に遭って重い障害を負っても、それはひとときのものだと知ります。
この地上はあくまで体験を集める場所。
大切な場所ですが、霊の体験全体から見れば些細な一瞬でもあります。


受けた痛みには必ず意味がある。
そして、耐え抜いた最後には必ず報われる。


これこそが神の絶対なる正義の証です。

受け入れる力は、いかなる時も自分を守る盾となるでしょう。


批判や悪口は自分を殺す

最近は衆議院が解散したので、お互いの批判合戦をよく見かけますね。
みなさんもそうでしょうが、こうした言葉を聞くだけで嫌気が差してしまいます。


それはそのはず。

批判や悪口は霊にとって毒素なのです。


実は魂が覚醒して霊的に敏感になるとこれがよくわかってきます。
胸の奥に嫌なものが溜まる感覚、近い感情でいえばストレスで胸が詰まる感じ、
その種類によって色々なところに違和感や痛みを感じるようになります。


すでに汚染されている人は、その状態が普通になってしまっているので気がつきませんが、これは非常に危険な状態です。
それが続くと必ず悪影響が出て、どこかしらが病気になってしまいます。


さて、批判といっても正当な批判もあります。
明らかに間違っている行為、人道に対する罪とか戦争行為とか、
あるいは完全に誤った偏狭な思想や宗教など、
そういったものに対してははっきりと言わねばならないこともあります。
それは知識と勇気ある者の義務です。


しかし、基本的に人間にはそれぞれ自分の道が存在しますので、
誰かに対して批判や悪口を言う理由はありません。
ここで一つみなさんに覚えておいてほしい言葉があります。


未成熟で愚かな人は、他人のことばかりを言います。


成熟して優れた人は、人の理念を説きます。



先生が昔からびっくりしているのが、
話した内容をすべて自分に対するものだと受け止める人がいることです。
まあ、先生の母親もその一人なのですが、
先生が一般論や道理を説いても、そうした人たちは自分たちの批判だと受け止めます。

自己愛が強いのと、常に他人のことばかり言っているので、
いつ自分が批判されるのではないかとビクビクしているからです。
(自分で気がついていない場合も多いです)
そう、弱い犬ほどよく吠えるという諺の通り、相手が恐いから無為に批判します。
恐がりの人ほど相手を悪く言いたがるものなのです。


他人を批判しなければ、自分が批判されることを恐れることもなくなります。
本当に自信がある人は、謙虚で自分の理念に正直です。
語る言葉は主に制度やシステム、人のあり方や正しいことを説きます。
よくよくその人を観察してみてください。そして感じてください。

優れた人は必ず後味の良い風を身にまとっています。

触れた人に勇気を与え、さわやかさを与え、けっして不快感を与えません。


これもまた自分に集中しているからです。
同時に、自己を知るということは周りを見つめるということ。
自分の至らなさを知っているので他人を傷つけず、
なおかつ他者から良い面を探して、それを引き出そうとします。
一方未成熟な人は、すべてその反対のことをしようとします。


批判を正しく使うのは非常に難しいです。
汚職や不正を正すためには強い力も必要です。
ただその場合でも、できる限り人の理念、
「あなたは本当にそれが正しいと思うのか」
「あなたが逆の立場になったら、本当にそれで満足か?」
という点を強調していくべきでしょう。


本当に強い人というのは、最後まで理念を貫く人です。
みなさんも、ぜひそうした人間になれるように努力してくださいね。

無条件の好意のすごい力!!

仲の悪い人というものはいますし、仲が悪くなることもあります。
どうしても合わないって人もいます。
距離が近すぎると求めることも多くなって、逆にうざったくなることもあります。
それでも前回言ったように、すべては克服することができます。

なぜならば、人を愛することに限界はないからです。



さて、今日は誰とでも仲良くなるための最強の力をご紹介します。


それが無条件の好意です。


まず、ここでも色々なテクニックを紹介していますね。
さまざまな知識を得ると人間の機微、微妙な感情の変化がわかってしまうもの。
場合によってはテクニックを駆使して他人を支配することもできます。
それを知らない人には魔法でも、知っている人にはなんてことはない理論ですから。


よく本屋で「人を操る技術」とか「黒い心理学」みたいな感じで
相手を思い通りに動かす技が紹介されています。
先生も技術を知ったときに色々な人間に試したら、実に簡単に操ることができました。
がしかし、これをしばらく続けていくと一つの欠点に気がつきます。


同じ技術を習得している人には通じない


のです。


たとえば先生に対して誰かがテクニックを使ったとします。
でも、先生はわかっているので「ああ、こうきたか」「そっちのやり方で好感度を上げにきたな」と全部わかってしまいます。
そのすべてが見え透いたもので、繕っているのがわかってしまうのです。
そうすると逆に冷めてしまうので、感情がまったく動かないときがあります。


先生って、超めんどうくせーやつじゃん!


いや、しょうがないのです!! そういうものなのです!


自分より上の人間に対してこれを使うと逆効果になります。
先生のように見透かしてしまうからですね。
人生経験が豊富な人、特に経済で成功している人は人間を見る目を養っていますから、こんな小細工はすぐに見破られてしまいます。
結果、たいした評価をされない、ということになるわけです。


これも当然。最初から打算で動いているのですから、

そんなものでは人間の感情は揺れ動きません。

みなさんが感動する映画や小説も、精一杯本気で生きている姿を見て涙するはずです。
本気の感情、本気の愛、嘘偽りない心に胸を打たれるのです。
一方、詐欺師に感動する人なんてあまりいませんね。それと同じです。


では、どうすればいいか。


ただただ相手に好意を持つ。
打算なく、相手を好きだという気持ちを持つ。


これだけです。


先生、たったこれだけ?


言いたいことはわかります。でも、これだけです!!そして、これだけで十分なのです。


人間は誰からも認められたいと思っていますが、
それは結局、みんなから好きになってもらいたいという感情なのです。
ですから、多くの人は愛されることを欲しています。
その中で自分から他人を愛するのは難しいことですが、
反面これができれば誰とも仲良くすることができるのです。


どんな(先生のような)堅物の人でも、偏屈な人でも、気安い人でも、
お嬢さんもお婆さんも、子供も大人も、男性も女性もこれには敵いません。


相手の身分や立場ではなく、相手の収入やルックスではなく、
相手そのものを受け入れて、好きになってあげる。
相手の言葉を受け入れて、話を一緒に楽しむ。
嫌なところも個性だと考えて、「まあ、ああいうやつなんだ。それはそれで楽しいじゃないか」と思うようになる。


そして、無条件に笑顔で好意を示す。肩肘張らず、緊張もせず、ただただ笑顔で相手を思って話す。


これだけですべてが花開きます。
くだらない会話術など必要ないくらい、驚くほど相手と打ち解けられます。


会話術は、まずは出入りに必要なものであって、
入ってしまってからは屈託のないみなさんの素の好意が試されるのです。


ただ、今の社会は散々傷つけ合ってきた歴史がありますので、
誰もが身構えて防御の態勢を取っています。
誰だって傷つくのは嫌ですからね。


でもでも、みなさんが自分の心を強くして、自分に集中するスキルを得ていけば、
相手の暴言やささいな苛立ちも受け流せるようになります。
「ああ、今は機嫌が悪いのだな」とか、「人間、欠点の一つや二つはあるさ」と思って、次に会うときはまた笑顔で接してあげれば、相手は心を開いてくれます。

自分を鍛えるとは、人を愛する準備なのです。


ただただ好意を持つ。


この力は絶大で、なおかつ偉大です。
どうぞ試してみてください。


あなたが嫌いだと思っていた人にも、
数多くの良いところがあることを発見するはずです。
そうすれば合う合わないという相性はあっても、
もう嫌いとは思わなくなることでしょう。


人を愛する。人に好意を抱く。


難しいことですが、だからこそ素敵なのです。