「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
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会話のキャッチボール

さて、今日は会話のキャッチボールについてです。
会話の基本のお話ですね。


最近はこうしたテクニックばかりを述べていますが、
これもれっきとした道徳の授業です。
道徳とは単なる理想を語ることではなく、
いかに実践するかを教えるものだからです。


で今回は、会話の受け方です。
これは意外にというか、最重要の項目です。
よく会話のキャッチボールと言いますが、これをやり方って案外習わないのです。
今はわかりませんが、少なくとも学校で習った記憶はありません。
おそらく今社会に出ている人も自分自身で学んだもの(会社で教育されたもの含む)でしょう。


もちろん、社会人になればおのずと学ぶことですが、
こういった基本的な要素は本来学校で習うべきものなのです。
いや、本来は家庭で習うべきものでしょう。

が、教える体系ができていないので、肝心の親が知らない場合が多いのです。

そうすると子供にも伝わらず、
こうしたテクニックはあくまで各家庭の状況に左右されます。
大人になっても会話ができない人がいるのはこのためです。


さて、その内容ですが、とても簡単。


誰かに話しかけられたら、まず話を聞いてあげましょう。


すっごい簡単!! 先生、簡単すぎる!!
ええ、そうなのです! 超簡単です!!


が、本当に簡単でしょうか?
先生が話してきた人で、これができている人は
仕事で対応する事務員以外はほとんどいませんでした。

たとえばこんなことになっていませんか?


例1
「ねえ、昨日あんなことがあってさ」
ああ、知ってる。あれって~で、~だよね」


例2
「ねえ、昨日あんなことがあってさ」
そういえばあの件ってどうなった?」


例3
「ねえ、昨日あんなことがあってさ」
「ああ、あれは駄目だね。私も昔ああいう~」



よくありがちなパターンを出してみました。
さてさて、みなさんはどれかに該当しますか?

だとすれば、もうその段階でアウト。話を聞いていることにはなりません。


まず話の基本として、相手の意見を最後まで聞く、という礼儀があります。

ですが、だいたいの人は多くの場合、話を聞く前に自分の話が入るのです。
それがまだ同じ話題、同じ意見ならばまだしも、反対意見になると即終了です。


「あの音楽っていいよね」
「いや、あんなの偽者だよ。ちょっと聴くに耐えないね」


この流れの場合は最悪です。
まず人間には自尊心というものがあって、最初に否定されると身構える習性があります。

みなさんも最初に否定の言葉をもらうと良い気持ちにはなりませんね。
自分の言葉をよく思い返してください。


「いや」「でも」「そうじゃなくて」


こういった否定の接続詞をよく使いませんか?
そういう人は要注意です。
今述べたように最初に否定の言葉が入ると人は身構えるので
心の中に引っ掛かりができて、それが心の壁となって相手との距離を取ってしまいます。
それが続くと、相手と会話ができないと思って、もう打ち切るしかなくなります。
少なくとも楽しい気持ちにはなりません。


でも、みなさんはべつに怒らせようと思ってやっているわけではありませんね。
多くはそのやり方を知らないので「どうして上手く話がつながらないんだ」と思います。
そう、これらはすべて会話のテクニックなのです。
幼少の頃からもしこれを身につければ、みなさんの周りには多くの人が集まって
それこそ人望の厚い人として信頼されるようになるでしょう。


ですから、


「ねえ、あれがあれでさ」
「うんうん、それで?」
「あの件に僕は反対なんだよ」
「なるほど、たしかにね」


こうしてまず相手の意見を聞きましょう。


途中で否定の言葉や自分の意見を入れてはいけません。
また、一つのテクニックとしては、その話題に興味をもって質問するものもあります。


「あの件に僕は反対なんだよ」
「ほうほう、どのあたりが? あれって~だよね?」
「そうなんだ。だから僕はあれが~」


このように、話題に沿ったもので「相手の意見を聞くために質問してあげる」のは
むしろ興味を持っている証拠なのでプラス評価になります。
相手は自分の話をよりよく聞いてくれていると思って、さらに機嫌がよくなります。


さて、あなたは自分の意見を言えないことにイライラするかもしれません。
でも大丈夫。それを続けていくと


「とまあ、僕はこう思うんだけど、君はどう思う?」
「僕かい? そうだな・・・。僕としては、賛成かな」
「本当かい? どうして?」
「君の気持ちもわかるけど、あれは~だと思うんだ」
「なるほど、そういう意見もあるか・・・」


と、相手は話し終えたので気持ちがすっきりしていて
たとえ相手が自分とは違う意見だとしても怒ったりはしないことが多くなります。


重要なことは


話しかけた人は自分の話を聞いてもらいたい


ということ。

よく女性との会話でもそうですが、
「意見を聞きたいわけじゃない。話を聞いてうなづいてくれればいい」
というものがあります。


よくよく考えればすごい発言ですが、みんな言いたいことがあるわけです。
それを途中で遮ったら気持ちが良いはずもありません。
そして、これこそが会話のキャッチボールの基本なのです。


相手の話を十分に聞いてあげる。
そのうえで、こちらの意見も言う。
ただ、話しかけた人に優先権がある。
これを忘れないようにしましょう。


そりゃそうですよね。
相手が投げたボールを受ける前に、こちらがボールを投げたらお互いに衝突します。
まずは受ける動作が必要です。


これができていない人が多いので諍いが多くなるのです。
特に最初に否定を入れる癖ができている人は
直さないと後々危険なトラブルに遭うかもしれません。


たまたま海外のサバイバル番組をつけたら、
二人が言い争っている場面がありました。
一人がいつも否定の言葉を最初に入れるので


「あなたはいつも他人の意見を否定してばかり! なんて協調性のない酷い人なの!」


となるわけです。

日常生活でもこれはよくあって「お母さんは私を理解してくれない」とか
「娘の気持ちがわからない」というのも、これが最初の原因なのです。
まず相手の意見をすべて受け入れてあげる。
これができないから、相手がもう話したくないと思ってしまうのです。
そうなれば相互理解などできるわけがありません。


先生が心霊学をみなさんに教えるのは、快適な人生を送ってほしいからです。
そして、これは相手を思いやることであり、慈善になります。
慈善こそ神の法の一番重要なポイントです。

聞くのは忍耐がいるかもしれません。


でも、それが最初の自己犠牲なのです。

慣れれば案外簡単にできますよ。


まあ、あまりにくだらない話の場合(社会を混乱に陥れるような話など)は、
先生がやったように即否定して潰してあげても大丈夫です。
そういう場合はむしろ戦わないといけません。
が、日常生活で友達やクラスメートと話す時は、これが基本となります。


場合によっては、相手が一方的に話し続けて終わる場合があります。
そういう人は会話ができない人なので、たぶん誰からも好かれないでしょう。
みなさんは会話を聞いてあげながら「会話ができないとこうなるのか」と
自分の身に置き換えて自分を戒めてください。


結局のところ、これができない人は自分勝手な人間なのです。

極度の自分中心主義、つまり利己主義の一種です。
周りが見えておらず、自分のことで頭がいっぱいなので、
そもそも他人のことにまで考えが至りません。
それはそれでかわいそうな状態なのです。
そこまで成長していない霊ということもできます。


その場合は、自分の意見を言わずに話を聞いてあげるのも慈善となります。
まあ、けっこう我慢が必要なので、なかなかよい訓練になるでしょう。

無理をしないこと

無理をしない、これは非常に重要なことです。


無理をしてしまうと身体が疲れます。
次に精神が疲弊して、心を病みます。
それが継続されると魂にも影響を与え、慢性的な状態になっていきます。
こうなると正常な状態とはかけ離れた病気となり、さまざまな苦痛を呼びます。


まあ、そんなことは言われるまでもないですよね。
では、なぜ無理をしてしまうのか。


一つは、楽しくてついつい自分が制御できない場合。
たとえば面白すぎて夢中になって、ついつい夜更かししてしまう。
目に悪いと思いつつ、スマホばかりいじる子供と一緒ですね。


もう一つが、固定観念に囚われて「しないといけない」と考える場合。

前の理由は自分の楽しみが入っているのでまだ良いのですが、
こちらの場合はけっこう危ないです。
たとえば、働きすぎで過労死したり、無理をして事を運ぼうとして破滅します。


正直にいえば、先生は裕福ではありません。
それどころか贅沢とは無縁な生活をしています。
外に遊びにいくこともなければ、お店に行くこともほとんどありません。
必要最低限の生活を送っています。
幸いなことにインターネットがあればそれなりの娯楽は得られますからね。


では、この状態で無理をすればどうなるでしょう。
最低限の生活すら送れなくなり、苦しくなるでしょう。
それに伴って精神は病んで、誰かを恨むようになるかもしれません。


逆にいうと、無理をしなければ最低限の生活は保障されるものなのです。
そうです、神様が保証してくれます。
心霊学の知識があると、世界にはしっかりとした意思と力が存在していることを知ります。
その中には生活に関わるものもあるのです。


仮にそれを知らなくても、
無理をしなければ不必要な負担をかけることがないのは普通のことです。


それでも無理をしてしまうのならば、他人の目ばかり気にしているからです。


それによって無理をして浪費をし、自らを追い詰めています。
これだけだとわかりにくいので一例を出しましょう。


ここでまた便利な先生の母親に登場してもらいます。
彼女は長年働いていました。何のために?
もちろん生活のためではありますが、その半分は保険をかけるためにです。
未来が不安で怖くて、毎月五万円以上の生命保険や傷害保険をかけるために
無理をして働いた結果、膝を壊して今では歩行に大きな支障が出ています。


しかも何度も忠告はしています。
これ以上やると足が壊れるから、せめて働く日数を減らしてくれと先生も言いました。
でも、それは聞き入れられませんでした。


本来ならば、働き者と称したいところですが、残念ながら逆です。
自らの恐怖に負けて無理をした結果、こうなったのです。
少し薄情に言えば自業自得です。
厳しいですけど、こうした無理には誰も同情も評価もしてくれません。


この世には、無理をしてまでやることはあまりありません。
それが人助けであろうと、自らの身体を壊してまでやるのは無謀です。
神様の基準だと、たしかに自己犠牲は最大の美徳ですが、
それは心の中で「自分しかいない」「自分がヒーローになるんだ」という
自己顕示欲に負けた結果、という採点が下ってあまり評価されないのです。


神様の法則って、ほんと難しいものですね。
でも、よくよく考えてみれば、実に理にかなっているものばかりなのです。
無理に求めないということは、自分の欲望を制御している証拠です。
「欲しい、でも我慢しよう」を続けていると、
そのうち「まあ、なくてもいいか」になり、
次には存在すら気にしなくなるほど達観していきます。


それより楽しいものや美しいものは、素朴な生活の中にあり、
幸せを手に入れるのにお金は必要ないと悟るでしょう。
先生の母親の事例のように、恐怖さえ制御すれば不必要な出費というのは多いのです。
それに気がつけば、最低限の生活で十分だと悟るでしょう。


どんなに他人や社会がみなさんを急かしても、それに流されてはいけません。

自分の中のリズムを大切にして、それを守るようにしてください。

それこそ本当は毎日学校に行ったり、仕事に行かなくてもよいのです。
その人にはその人のリズムがあるので、本当はその人独自のスケジュールが必要なのです。
それを無視すれば体調を壊すのは当然で、さらに無理をするから
一生残るような後遺症が出てしまうわけです。


自分を守るために規則に逆らうことは悪いことではないのです。
むしろ、画一的にすべてを同じに扱うほうが悪いのです。
みなさんが学生だと、これに逆らうのは容易ではないでしょう。
ですが、まずは自分を守ることを優先してください。
そうしないと大人になってから大きな代償を支払うことになります。

相手に恥をかかせないように配慮しましょう

久々にテレビというものをつけてみたのですが、
うーん、どうも先生からすると不思議で変な世界が広がっていました。


最近はどうやら動画が流行っているようで、
何かあったら動画にして出すという習慣ができてしまっているようです。
この動画は変であればあるほど好まれるようです。


失敗した人を動画に映して笑う、という現象自体が目を疑うものでした。
びっくりして先生としてはしばらく呆然としたくらいです。
最近の社会の風潮、というよりはまだまだ未成熟な人間社会全般がそうなのですが
ここではいまだ相手に恥をかかせて面白がるという悪癖があるようです。


最初に述べておくと、相手に恥をかかせないように努力するのが慈善です。


道徳教育で一番大切なのがこの部分。最初に学ばねばならないところです。
たとえば誰かがミスをしたらフォローするのは当然ですが、


一番重要なのは相手にそれを悟らせないこと、です。


神様の作ったシステムの中で重要視されるのが慈善です。
そして、神様はより自然に慈善を行うことを推奨しています。
自然に、という意味は、それに対して対価を求めないこと。
いわゆる無償の愛に行き着くものなのですが、それにもテクニックが必要です。


慈善と聞いて最初に思い浮かべるのが寄付かもしれません。
もちろん寄付も大事な慈善ですが、これは一番簡単な慈善で、あまり評価されません。
なぜならば、それは当然だからです。
慈善の中では「当たり前」に属すること。
当たり前のことをやっても褒められないのと同じで、
持てる者が持たざる者に与えるのは当たり前なのです。


で、その中で私たちが一番やりやすいのが、
相手に恥をかかせないように配慮することでしょう。
相手の言い間違いを指摘しない、公衆の面前で注目させない、
些細な失敗は隠してあげる、追い詰めないなどなど
数えたらきりがありません。


当然、大切な問題、みんなの生活にかかわることならば、
失敗に対してお互いに意見を出し合うのは当然のことで、
そうしたことは別に考えないといけません。
この場合でも、あとで二人で会ったときにさりげなく教えてあげるとか、
できるかぎり相手の恥を外部に漏らさないことが肝要です。


寄付にしても、この仕組みが当てはまります。
相手に恥をかかせる、ちょっと言い方を変えると
お金をばらまいて相手に拾わせるような行為は、
寄付どころか相手に恥をかかせる行為として、むしろマイナス評価になります。
本当の寄付とは、相手に負い目を感じさせないように
非常にさりげなく行うことです。
これがなかなか難しいので、それができれば非常にプラス評価になるでしょう。


このように、相手に恥をかかせないことは相手を思いやることなのです。


なので、みなさんの近くで誰かが失敗してしまったら、
なるべく大事にせずに、静かに対処しましょう。
わめき散らして事を大げさにすることは控えなくてはなりません。
そうしないと因果律の法則で自分もいつかそういう目に遭うことになるからです。


他人に恥をかかせると、相当な恨みを買います。
人間社会で起こっている犯罪の多くが、これに起因しています。
突発的な殺人にしても、そうした恨みを買ったから狙われるということもあります。
むしろそうした事例のほうが多いかもしれません。


また、このような恨みは非常に根が深いので、
下手をすると十年や二十年では払拭できず、一生恨まれる恐れもあります。
他人を恨むことは自分を傷つけることですが、


相手に恥をかかせた人が恨まれて苦しむことも、神は霊の浄化(贖罪)として許しています。


一番良いのが、それを未然に防ぐこと。
恥をかかせないことは相手を思いやることだけではなく
自分を守ることにもつながるのです。

神の法を守ることは、自分を守ることになる。
それを意図して作られているからです。


みなさんも他人に恨まれる人生より、好かれる人生のほうがよいに決まっていますね。
特に今はメンタルが弱い子供が多いので、群れる傾向にあります。
そうすると他人の情報(秘密)を簡単に晒してグループで共有しようとする現象が起こります。
それでトラブルになるケースも多いことでしょう。

ぜひ気をつけましょう。自分のためにも。