「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

〇HPはこちら(制作途上)
http://mirainsophia.net/

「ニッキナと金竜の卵」(仮)デザイン中

次の絵本のタイトルは「ニッキナと金竜の卵」を予定しています。
内容的には普通といいますか、オーソドックスなお話かな、という感じで調整しています。


今日は主人公のニッキナのデザインをやっていました。



まず普通に骨格とバランスのラフを描いて、
背の高さ(等身)、腕の太さ、足の長さなどを考えます。
この段階でデフォルメされていますが、これをベースに考えていきます。



次に表情などを描きながらキャラの個性を考えていきます。
ちょっと普通の絵になってしまっているので、
もうちょっと子供向けにデフォルメしてみます。



デフォルメするには、顔(頭)とそれらのパーツを大きくして
手足を細くしつつ、手や足自体は大きく描くと
さらに一気にデフォルメされていきます。


んー、ぱっと描いたラフなので、どの方向性にしようか思案中です。
デフォルメが強いほど大きな動きを描きやすいので、
最後のバランスあたりでいこうかなぁ・・・などと迷っています。


これくらいの絵だと、裸を描くのが怖いレベルにデフォルメされているのですが
基本裸になることはあまりないので大丈夫でしょうか。


そういえばアロのキャラデザインもあったのですが、
あれは紙に描いたのであまり残っていません。
紙だとくしゃっとまとめて捨ててしまうことも多いので・・・



最後のやつは等身的にはアロに近くなりそうですね。
普通に描いてしまうと、普通のアニメ系の絵になってしまいますし、
作品ごとにかなり調整が必要になりそうです。


たとえるならば、プリキュアにするのかおジャ魔女どれみにするのか、
そういった違いでしょうか。(等身的な話で)



おジャ魔女どれみOP曲「おジャ魔女カーニバル!!」 full 高音質



ふたりはプリキュア OP主題歌 「DANZEN!ふたりはプリキュア~なぎほのVer ~」


・・・まあ、プリキュアって一回か二回くらいしか観たことないですけど・・・。
こんな感じでしたっけ?
イメージ的には「クレヨン王国」のほうが強いですね。



夢のクレヨン王国OP「ン・パカ マーチ」


いやー、アニメってすごい技術の塊ですね。
改めて恐ろしい限りです。



これと同時にガイドブックも製作中です。
名前はまだ未定ですが、「おばけガイドブック」とか、
子供に合わせてそんな感じにしようかと思っています。
カテゴリー的にはちょっと説明調の絵本といった感じでしょうか。


内容は細かく分けて、合間に作っていくというやり方にします。
長いと疲れますし、ちょこちょこ出すほうが続けられそうです。







絵本の性質について思う

次に作る絵本で少し思案しています。
「かみさまの花」は少し知育寄りなので、全体的に説明調になります。
正直、絵本としてはつまらないんですよね。


絵本を見て、実際に作ってみて、自分なりに少し体系化してみました。


絵本には


○キャラクター性 ←→ 汎用性


○デザイン性 ←→ 写実性


○物語性 ←→ 抽象性


○ファンタジー性 ←→ 現実性


○知育性 ←→ 寓話性(意味深)


という各要素があります。
あくまでぱっと名付けただけなので、名称は適当です。


たとえばキャラクター性というのは、登場人物の個性のことです。
がっつり個性が出るキャラ、名前や設定があるキャラもいれば
名前もないキャラや、動物の名称そのまま出る希薄なキャラもいます。


で、デザイン性というのは、それをどれだけ簡易化するか、
それとも写実っぽくやるか。
写実っぽくやるものの代表は、写真を使った図鑑的な絵本です。
(絵本コーナーにあるもの)



キャラクター性や物語性が高まると、世界名作劇場みたいな感じのはっきりとした作品になります。


これこそお馴染みの、不思議の国のアリスとか、そっち系のものになります。


物語性が強くてキャラクター性が低いと、日本昔話みたいになります。


「どこどこのおじいさんが~」「お寺の坊主が~」という言い回しで
物語に重点を置いて話されます。
キャラクター性が高くなれば、桃太郎とか金太郎になります。


そこにファンタジー要素を入れれば不思議な世界観になり、
現実性が入れば現代の生活様式のものになります。


知育性が強いと説明調になり、寓話性が高いと曖昧に示されます。



こうしたことを考えた結果、


絵本の作品としては


キャラクター性が高くて
物語性が高いほうが面白い


というのは間違いありません。


あるいはキャラクター性が高いものは印象に残るので
物語は覚えていなくても「ああ、あのキャラ覚えている」となります。


これを「アロとおばあちゃんの世界」に当てはめると
各五段階でいえば


・キャラクター性 4
・デザイン性 2
・物語性 3
・ファンタジー性 2
・知育性 4


くらいかな、という感じです。


「かみさま どーこだ?」は、


・キャラクター性 2(キャラ性はあるが、個性はない)
・デザイン性 4
・物語性 1
・ファンタジー性 1
・知育性 3


となります。


これを考えたとき、次に「かみさまの花」をやると
知育性が高くて単調でつまらない作品になります。
だったら、それはガイドブックのほうでまとめてしまって、
次はちょっと違う物語性の高いものをやろうかと考えました。


それと少しアニメ調の絵柄でやってみたいと思ったので、
どれくらい融合できるのか試してみたいですね。
もともとアニメって子供が見るものとして発展してきたので、
それを使うのは自然に思えます。
あとはどれくらいの度数でやるか、です。


アロは意識的に淡白に描きました。
キャラクターはあっても、あまり癖をつけないようにしています。
絵本自体の経験がほぼなかったので様子を見ていました。
正直まだまだ慣れていないので、これからも実験的な絵柄が多くなるはずです。
むしろ毎回自分の中で実験的、挑戦的なものになりそうな気もします。



ここ数日はずっとそのことを考えて悩んでいました。
本の内容も、どれくらいやればいいのかも難しい。
簡単に作れる絵本もあれば、難しい作品もある。
これは創作活動において当然のことで、これもまた面白いです。


作品にはそれぞれ必要な期間というものがあります。


あるものは一日や数日で終わり、あるものは半年や一年以上かかります。
時間をかけたからといって良いものができるわけではありませんし、
評価が高くなるわけでもありません。
ただ単に、作品の性質に応じて熟成期間が必要になるだけの話です。


それだけを見て、割に合うとか合わないとかを考えるのは
そもそも間違いなのです。
必要ならば、必要なだけ時間をかけねばいけないわけです。


仮に物語性を高めた場合は、設定やイメージボードを含めて
また多少時間がかかりそうだなーとは思います。
まあ、それはそれで楽しい時間ではあるのですから、
それを含めて制作を楽しみたいものです。









病気から学べば、治らなくてもよい。

人間は病気や怪我をすると、それを治そうとします。
それは当然の行動ですが、それだけに目を奪われて、
なぜそうなったのかを考える余裕がないこともよくあります。


病院に行けば治る、医者に任せておけばいい、薬を飲めばいい。
こういった考えに囚われると、せっかくの病気に意味がなくなります。


病気とは、当人が持っている何かしらの未熟性が顕現したものです。


通常、人間の肉体は、精神的、霊的に正しければ正常であるといわれます。
これは簡単な事実でして、たとえば怪我をするのは何かしら性格に問題があるからです。



慌しい性格で不注意ばかりしていれば転びますし、怪我をします。

心の静寂を知らず、未来に不安を感じていれば、精神的に病んで肉体も衰えます。


あるいは、目先のことに囚われて体を壊しやすい職業を選ぶかもしれません。


霊的な罪があれば、カルマが病気として顕現します。


このように、何事も病気には理由があります。


肉体は霊体からエネルギーを補給することで成り立っている道具です。
心の世界の体である霊体は、心の状態の影響を強く受けます。
肉体はチャクラを通じて各臓器とつながっていますので、
ある特定の不安や恐怖などといった悪感情を抱くと、それに対応した臓器が病み、
そこがガンになったりもします。



さて、こうして病気になったとき一番重要なのが、


なぜそうなったのか、その原因を見つけ出し改善すること


です。


人間の病気とは、すべてそのために存在します。


先生も昨年、二週間くらい動けなくなったときがありましたが、
「ああ、こんなに慌しく体を酷使すれば当然だ」と思いました。
しばらく瞑想もままならない日々が続いていたので、かなり強く反省したものです。
そして、それがまた一つの転機になりました。


神様が病気を用意したのは、そこから学ぶためです。


神が作ったこの世界は、つまるところ自然は常に正常であろうとします。
それに逆らえば病気になるわけで、ではなぜそうなったのかを見極められます。


これは普段から起こる何かしらの問題と同じことです。
日常生活、社会活動において問題が起これば、それを改善しようとします。
その過程で叡智を学ぶようにという配慮の一つでもあるわけです。
まあ、実際のところは、人間の無知によって問題が起こって、
それを四苦八苦して克服していく過程で自然法則の成り立ちを発見する、ということです。


病気になると人間は慌てますが、これも内容は同じで、


病気は治ることが大切ではない


のです。


そこから自分の未熟性を学ぶことができれば、治らずともさして問題ではありません。


むしろ、何の努力もせずに薬や手術でごまかして、同じ生活を続けるほうが問題です。


そこで何が悪かったのか、物的な行動から精神的な考え方まで学べなければ意味がありません。


これは心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)でも散々言われていることです。


その感動が琴線に触れて、魂が目を覚まさなければ治療は失敗である、と。


もちろん、健康であることが一番には違いありません。
しかし、治すことばかりに目がいけば、肝心の魂の成長が成し遂げられません。
むしろ痛みを思い出すことで自制(自省)する手段にすることもできます。


病気になることはかわいそうなことではないのです。
そこを理解しないといけません。
その裏側にある原因に目を向けると、人生の意味が少しずつわかるようになります。