「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
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まずは好きなものから愛する

人は生きているだけで尊い。


そう言えるのが一番なのですが、なかなかそれを実感しづらい世の中なのは間違いありませんね。


私たちは自分が安心するために、他者からの容認を求めています。
簡単に言えば、誰もが認められたいと思っています。


動物的な意味で言えば、身の安全が保証されるために他者からの好意が不可欠です。
誰だって、安全な場所で暮らしたいものですよね。
それを実感できるために安心材料が欲しいのです。とても自然なことですね。


そしてもう一つの要素としては、人間が霊である以上、
もう一人の自分である他者を必要とするからです。


私たちは愛するために作られた存在です。
愛が愛を表現するために、霊には愛する能力が備わっています。


それと同時に、愛されたいという欲求があります。



自尊心の根幹は、こうした愛から生まれているともいえます。



ですが最初にも言ったように、社会の価値観が未成熟ですし、私たち自身も未成熟です。
愛することは簡単ではなく、愛されることも容易ではなく、いつしか日々愛されたいという欲求だけが加速して、結局満たされないので自暴自棄になったりします。


これは、愛し方を知らないことも要因です。


愛されるためには、まず愛するしかありません。


陳腐な言い回しに聴こえるかもしれませんが、理屈としてはそうなのです。



ただ、これもまたいきなりそうするのは難しいものです。
嫌いなものを愛することは難易度が高いです。
やはり嫌いなものは嫌いですしね。



こうなれば、違うアプローチをするしかありません。



まずは、自分が好きなものをとことん愛してみる。


愛されなくてエネルギーが欠けていると思ったら、好きなものに熱中して愛を補充してみる。


まあ、これは言われずとも誰もがやっていると思います。
休みの日に好きなことをやればいいわけです。


それでもふとしたマイナスが迫ってくるもの。
それに囚われると基本を忘れそうになりますので、日頃から好きなものに目を向ける習慣があるといいでしょうね。


わざわざこう述べるのも、我々は愛するための正しい教育を受けていないため、気が付くと他人を否定していることが多いからです。



否定から愛は生まれません。


自分が気に入らないからと何かを否定ばかりしていれば、結局のところ自分に戻ってきて、愛されない現象が発生して、それでまた気分を害して他人を傷つけるようになってしまいます。


これは愛し方を知らないからです。


他人を褒める習慣がないというより、


自分自身が確立されていないので、何かの拍子で動揺することが多いのが原因です。



これを解決するには、まずは自分自身に焦点を当てることです。


自分勝手になるのではなく、自分自身を磨いて改善していくということです。


それによって他者との距離が生まれるかもしれませんが、それを怖れていては自分を確立することはできません。


人間の魂は、それぞれ段階が違います。
それぞれに学ぶべきものがあって、親や仲の良い友達であっても、同じであることはありえないのです。


ですからまずは、自分自身を律することを考え、嫌な相手がいても気にしないことです。
この気にしないも難しいことですが、良くも悪くも自分に集中していれば気にする暇もないはずです。


あとは、自分から愛するように心がけること。
それが愛されるための一番の近道かもしれません。








不満は常に自分の中にある

何かに不満を抱いたとき、たいていの場合は自分の中に問題があります。


そのときはそう思えなくても、すべては自分への不満であることが多いのです。


人間の性質上、何かあると大きな視点から物事を言いたくなります。
たとえば、無駄な消費を見て「今困っている人がいるのに、なんて勿体無いことを!」と思ったりします。


それが倫理観や、道徳観から見ていればよいのですが、
特定の人の行動が目に付いたり、妙にむしゃくしゃしたりしていれば、
それは間違いなく自分への不満が表面化した証拠です。
この場合、原因は自分への不満にあります。


極端なことを言えば、人間というのは常に「建前と本音」を常時使っています。


それは地上で生きている人間ならば、至極当然で普通のことですから
自分はなんて卑しいんだ、とか思わなくて大丈夫です。


ただ、これを知ることで、自分の大義名分による相手への攻撃の大半は、
自己の欲求不満から来ていることがわかります。


私も、この社会をよりよくしたいのは、自分がそのほうが都合が良いからです。
ある意味では、自分が楽になりたいから、もっと社会を良くしたいと思っています。
貧困をなくしたい理由が、自分がもっと物的に豊かになりたいから、でもよいわけです。


大切なことは、何かに苛立ちを覚え、それに対して大きなことを思ってしまったとき、
一度冷静になって自分の現状を分析してみるとよいでしょう。
すべての原因は、必ず外ではなく内にあると気が付きます。


そうなると、他人への攻撃をしないで済みます。


ここが重要です。


「あいつは、こうで、こうだから、ほんと最低なやつだ」


というのは、まるで意味がない批判です。
その人が重要な職についていて、どうしても批判しなければいけない場合を除いて、
たいていの場合は、自分の中でけりをつけるほうが妥当であり、
そのほうが正しい場合がほとんどです。


結局、他人は他人の責任で生きています。


仮にその人が間違った行為をしても、責任を取るのはその人です。
社会が責任を追及できずとも、神の法則によって罰せられます。


そう、これがあるから平等なのであり、自分は他人の成長に責任を負わない、というのが大原則なのです。
だから、他人を許せるわけですね。
言ってしまえば、「あーあ、後で痛い目に遭うのに・・・かわいそうに」と思えるわけですから。


もし冷静になれない場合は、運動するのがよいでしょう。


無心で有酸素運動をしていると、だんだんと心が落ち着いてきて、
一種の瞑想状態になることができます。


自分の中にある、黒いものを吐き出すイメージで、ひたすら呼吸をしていると、徐々に胸のつかえが取れてくるはずです。


もしあれなら、神様に祈ってもよいです。
「神様、どうか自分の中からこの感情がなくなりますように」等々。
文言は自由で大丈夫です。


また、瞑想やら祈りというのは、
座禅のように黙って座っていなければできないわけではありません。
インディアンしかり、踊りながらハイになる(その状態に至る)ことはできるので、
それぞれ自分に合ったやり方を試すとよいでしょう。


不幸であれ幸運であれ、すべての原因は自分にあります。
そして、自分の行動と気持ち次第で、今を自由に制御できるのです。
物的環境は変えられずとも、心は常に自分で支配できます。


幸せとは、心の落ち着き、安定です。
自分を常に制御できれば、その人が貧乏で孤独でも、最高の幸せものなのです。
たしかに地上で見れば、その状態は寂しく見えるかもしれませんが、
心の世界、霊界に赴けば、その人が偉大であることが一目でわかるでしょう。


欲は抑えられませんか?

すべての人間には、欲求、欲望というものがあります。
でも、それらの欲求のほぼすべて、特に悪い意味での欲求は


肉体意識によってもたらされている幻のようなものです。


人間の本当の意識、霊というものが、肉体を維持するための
動物的本能に縛られていることによって生じるものです。
これについては人間の項目で少しお話しましたね。


これが強力なものであることは認めます。
たしかに抗い難いものです。
それと同時に、これがないと生存できないことも認めます。


でも、抑えることはそんなに難しいことではありません。
動物的な欲求ばかりに意識が向いている弱い人には難しくても、
ある程度の経験や衝撃を得た人には、そこまで難しくはありません。


しかし、それもやはり霊の経験値なのかもしれません。


先生は時々、それができる人とできない人の差は、
けっこうあるのではないかと思うときがあります。
個人的には、地上人の人間の進化の差は、あまりないと思っています。
ただ、たとえば欲求を抑えられる人間、あるいは真理に目覚める人間は、
明らかに人生をできない人よりも多く経験しています。
いわゆる再生、生まれ変わりを経験している、ということです。


とすると、再生して成長した霊でさえ、この程度の差しかないとなると


人間の進化というのは非常にゆっくりしたものであることがわかります。


それと同時に、その間には人生一回、二回分の差があると思うと
そこはなかなか埋められない差なのかもしれない・・・とも思うわけです。


ですが、この世はすべて因果律によって支配されています。
強欲な人間には、強欲に対する罰(結果)が訪れます。
結局のところ、誰かが一方的に得をするシステムにはなっていないのです。


なぜならば、神とは平等だから。


神は平等のシステムを作られました。
仮に地上で富を蓄えても、結局は霊界で苦労(清算)します。
ですから、最終的にはプラスマイナスゼロになるわけです。
唯一プラスになるものは、その人間の経験、霊の進化だけです。


それを知ると、欲求というものはあまりなくなります。


真理に目覚めるということは、肉体や霊が浄化されるということです。


自分を思い出し、霊の世界を基準で生きるということです。


これだけは覚えておいてください。
すべての物質、地上の富は無価値です。
あくまで物的世界で生きるためのものであり、
なおかつそれを持っている人には責任があります。


無欲な生き方。小さな親切を大切にできる生き方。地上のいかなる富でも、それに勝ることはできないのだと・・・


どうか後悔しないように生きてください。
すべては霊の世界での栄光にあります。
地上は一瞬ですが、霊の世界は永遠だからです。


でも、お酒や暴食がやめられないように、
一瞬のために人生を壊す人がいることも知っています。
それでも霊である以上、いつかは知ることになるのです。


与える者は与えられる。
あなたがして欲しいことをしてあげなさい。


この黄金律は真実です。
どうか安心してください。