やはり宗教という言葉は壊したほうがいい
心霊学やスピリチュアリズムというものは「宗教」というものを題材にしています。目に見えないもの、感じるしかないものなので、結局のところ心の感覚、感受性に頼る部分がけっこうあるからです。また、「神」を題材にする関係上、どうしても宗教という言葉になります。
しかし、一度宗教という言葉を捨てたほうがいいかもしれません。
そう思うのは、少なくとも日本の一般社会において宗教という言葉が相当悪いイメージに塗り固まっており、もう払拭できない段階にあるからです。この状況から改善するのはやっぱり無理かな、と先生は思っています。
スピリチュアリズムという言葉をあまり使いたくないのも、こうした現状を踏まえてのことです。言語上、そう言うしかないので使っていますが、スピリチュアルという言葉自体が何か特別で不可思議なものというイメージを与えやすいのです。そう感じてしまうのも、まだまだ霊という概念が特別なものだからなのでしょう。
先生が感じている霊とは、もっともっと自然なものです。
人間が生きていること。自然に普段の生活をしている中で感じるものです。呼吸と同じように、生命活動と同じように、自然の景色を見て心が楽しくなるような、そんな当たり前のものです。
何かの現象を起こすには、物的な手段と同じく条件を整えばなりません。紙を綺麗に切りたいと思ったら定規かハサミが必要でしょう? 霊だってそれは同じこと。両者に違いはなく、霊という存在もなんら特別なものではないのです。
わざわざ宗教がなにやら、何を信じているやら、もうそうしたことなど無意味なほどに日々の生活の中にあります。それは自然科学と同じもの。そこの裏側で起こっている「真実」「事実」を検証したものであって、身構えるようなものではないはずです。
それは結局のところ、既存の宗教が失敗した結果、完全に信頼を失ってしまったことを意味します。今の時代、もうその言葉に囚われる必要はないでしょう。先生が心霊学という言葉を主に使うのも、そうした誤解を避けるためです。まあ、学問という言葉も微妙なところですが、宗教という言葉は、まさにすでに「死語」なのかもしれません。
これらは所詮、言葉遊びにすぎません。別になんと呼んでも結果は変わりません。が、差別用語が次第に減っていくように、そのうち宗教という言葉もなくなっていくのかもしれません。あるいは宗教という言葉が再び力を取り戻すか。…うん、ちょっと考えにくいですね。今の現状では特に。
断っておきますと、先生はけっこう「創造側」にいます。古いものを壊して新しいものを創ることを好んでいます。これを即座に行うタイプの人間なので、こうして要らないと思ったものは「捨てたほうがいいよ」とあっさりと鞍替えしちゃったりします。昨日まで信じていても、信じるに足りえなくなれば、今日いきなり鞍替えしちゃったりするのです。
これが人間関係だと最低の人間ですが、こと事実や知識に至っては非常に優れたスキルになります。
「あっ、君の意見のほうが良いから、僕もそれ今から使うわ」
「え? いいの? だって、あんなに好きだったのに」
「古くて性能が悪いものに興味はないからね。より良いもののほうがいいに決まっているよ」
という軽い感じです。良いものはどんどん使ったほうが得ですからね。それだけのことです。こうして常に頭を柔らかくしていると、より良い知識と出会ったときにすぐに受け入れることができます。
重要なことは固執しないこと。自分自身を一つの立場に固定しないこと。
常に自分を第三者、部外者の立場に置くことでこれが可能になります。なかなか難しいですけどね。
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