「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
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書いてあっても考える

よく「~に書いてあるから正しい」と考える人がいます。
うちの母親がそうで、何かと他人の言うこと、書いてあることを信じてしまいます。


がしかし、


他人など所詮人間ですし、何に誰がどんな目的で書いたのかもそれぞれ事情が異なります。


ですので、こういったタイプの人は何かと苦労します。
といっても、自分ではそうは思っていないので当人は困っていません。
むしろ自分の欠点に気がつかないほうが怖いという実例ですね。


こういったタイプの人は、


・教室に通いたがる(他人に教えてもらう)
・依存する(鵜呑みする)
・頑固に守る(他の意見を受け付けない)


といった性質が強い傾向にあります。


これが宗教の問題に発展すると、


誰が書いたかもわからない教典を鵜呑みにして、それしか正しいと思えなくなります。


これは思想の破壊、自分で考えることの放棄になりますので注意が必要です。


一方、しっかりと基礎を学びたがるので、真面目に続けることができれば
安定した力を発揮できますし、良い力を維持する能力があります。



先生はこれとは真逆。


・自分で学ぼうとする(自己流で書き換える)
・依存しない
(興味がないものは無視)
・すぐ乗り換える(駄目だと思ったらすぐに捨てる)


うん、まさに正反対ですね。


どっちにも良し悪しがありますが、前者は継承された力や技術を守ることに優れ、後者は新しいものを生み出すことに長けています。


たとえば法律や経済システムなど、
すぐに変わってしまっては混乱を招くものは、
前者の人が管理しないと上手くいきません。
毎日法律が変わって、犯罪の定義も転々とするようでは生活が成り立ちませんしね。


経済の本にも書いてありますが、
役割分担としてはまず後者の人が新しいものを生み出し、
それを前者の人が維持・管理、強化していく、という流れになります。
それが安定し始めたら後者の人は再び新しいものを開発していきます。


こうやって今までの文化が発展してきたわけです。
どちらが良いというわけではなく役割の問題です。


ただ、前者の人は新しい柔軟な発想をしにくい傾向にありますので、
もし自分がこのタイプだとわかっていたら、
今回の題名のように書いてあってもそれが正しいか考える習慣をつけるべきでしょう。


先生もべつに心霊学の本に書いてあることが全部正しいと思っているわけではありません。
自分で考えてみて合理的であると思った場合は受け入れています。
といっても、大半の知識が目に見えないものを扱うので
感覚や直感に頼ることも多いわけですが。


ですが、こうした精神的な要素は目に見えないからこそ注意が必要です。


一度ドグマに取り込まれるとなかなか抜け出せません。
先生は多少軽薄ですけど、良いものを見つけたら数秒で乗り換えるという点は
みなさんも見習ってもいいのではないかと思ったりします(自己弁護)



大切なことは、精神的な要素はけっこう見過ごされやすいという点。
最近でこそ心理学などを日常的に耳にしますが、
精神の研究は物的な要素に比べればまだまだ日が浅いのです。
そのうえ、精神的なことは物的なことよりも威力が強いので曲者です。


物は簡単に壊れますが、精神は簡単に壊れません。
人間の意識は永遠ですし、精神は強固な道具にもなるわけです。
私たちの生活は「楽しい」とか「退屈」とか「哀しい」などの
精神的な要素に大部分が支配されています。
その扱い方に注意を向けて損をすることはないのです。



たった一言が誰かを助ける

人間、ふとしたときに
自分は本当に誰かの役に立っているのかと疑問に思うときがあります。
たしかに自分に自信が持てないときってのはありますし、
あまり人に言えないような仕事をしているとなおさらでしょう。


しかし、どんな仕事をしていても常にプラスの言葉を使い続けることで
自分が思ってもみないところで誰かを助けているかもしれません。


先生も自信を失ってどん底にいたとき、
たった一言の言葉で生きる気力を取り戻したことがあります。
それはほんと、相手にしたら何気ない行動の一つだったのかもしれません。
でも、それがどんな影響を与えるかは発した人にはわからないのです。


「え? いやべつに、ちょっと良かったから言ってみただけなんだけど・・・」
と思っていても、それが相手にとっては人生を変える一言になるかもしれません。


先生も昔からけっこう熱い台詞を言ってみたり、
励ましたりする言葉を普段から使っていたら、
「あの言葉でやる気が出た」とか「あれで踏ん切りがついた」
とか言われて「やばい、覚えていない。そんなこと言ったっけな」
ということがよくあります。


まあ、これがプラスの言葉だから忘れていてもよいのです。
逆にマイナスの言葉だったら知らずのうちに誰かの恨みを買っているかもしれません。


ですから、常に前向きな言葉を口にして、
できるだけマイナスの言葉を言わない&思わないように心がけましょう。
自分では「俺って何してんだろう」とか思っていても、


意外なところで誰かの役に立っているかもしれません。


目に見える結果が訪れなくても、必ず誰かの役には立っているものなのです。
それはちゃんと評価され、自分に良い結果として必ず戻ってくるでしょう。



うちの猫に尻尾はなかった(ボブテイル)

全然関係ない話なのですが、
先生が飼っていた猫ちゃんは、最初から尻尾がない猫だったんですよね。
あるにはありますが、小さいウサギの尻尾みたいな感じです。


死んだのはもうけっこう前ですが、最近の猫ブームによって
ジャパニーズボブテイルって品種を知って
「あっ、うちの猫と同じだ」と知りました。
日本の番組ではなく海外のアニマルプラネットを見て知りましたね。


その中の特徴が、健康で病気になりにくい、みたいなのがありまして、
たしかにうちの猫は二十年生きましたが外傷以外の病気って一度もなかったです。
それにジャパニーズと書いているせいかわかりませんが、
いわゆる海外猫とは違って、私たちが素直にかわいいと思える顔をしています。
まあ、昔からいる「猫!」って感じの顔ですからね。


と、なぜこんな話をするかといえば、
今回の絵本でも猫を描いているわけですが、(猫大好きなので)
その中で尻尾を描くときにいつも違和感を感じてしまうからです。


いやまあ、猫に尻尾があるのが普通なのですが、
さすがに二十年も連れ添っていた猫に無いと、
無いのが普通に感じてしまうわけです。


動物は大好きで犬も大好きですが、
猫が好きすぎて犬にあまり興味がなくなるほど今は好きになっていますね。
たぶん、猫が死んでから五年くらい経って寂しいのかもしれません。
今まで動物がいない人生を歩んでいなかったのでね・・・


ちなみに先生は軽度の猫アレルギーです。
それでも猫と一緒にいるときは気になりませんでしたね。
くしゃみは出ますけど。