人は生きているだけで尊い。
そう言えるのが一番なのですが、なかなかそれを実感しづらい世の中なのは間違いありませんね。
私たちは自分が安心するために、他者からの容認を求めています。
簡単に言えば、誰もが認められたいと思っています。
動物的な意味で言えば、身の安全が保証されるために他者からの好意が不可欠です。
誰だって、安全な場所で暮らしたいものですよね。
それを実感できるために安心材料が欲しいのです。とても自然なことですね。
そしてもう一つの要素としては、人間が霊である以上、
もう一人の自分である他者を必要とするからです。
私たちは愛するために作られた存在です。
愛が愛を表現するために、霊には愛する能力が備わっています。
それと同時に、愛されたいという欲求があります。
自尊心の根幹は、こうした愛から生まれているともいえます。
ですが最初にも言ったように、社会の価値観が未成熟ですし、私たち自身も未成熟です。
愛することは簡単ではなく、愛されることも容易ではなく、いつしか日々愛されたいという欲求だけが加速して、結局満たされないので自暴自棄になったりします。
これは、愛し方を知らないことも要因です。
愛されるためには、まず愛するしかありません。
陳腐な言い回しに聴こえるかもしれませんが、理屈としてはそうなのです。
ただ、これもまたいきなりそうするのは難しいものです。
嫌いなものを愛することは難易度が高いです。
やはり嫌いなものは嫌いですしね。
こうなれば、違うアプローチをするしかありません。
まずは、自分が好きなものをとことん愛してみる。
愛されなくてエネルギーが欠けていると思ったら、好きなものに熱中して愛を補充してみる。
まあ、これは言われずとも誰もがやっていると思います。
休みの日に好きなことをやればいいわけです。
それでもふとしたマイナスが迫ってくるもの。
それに囚われると基本を忘れそうになりますので、日頃から好きなものに目を向ける習慣があるといいでしょうね。
わざわざこう述べるのも、我々は愛するための正しい教育を受けていないため、気が付くと他人を否定していることが多いからです。
否定から愛は生まれません。
自分が気に入らないからと何かを否定ばかりしていれば、結局のところ自分に戻ってきて、愛されない現象が発生して、それでまた気分を害して他人を傷つけるようになってしまいます。
これは愛し方を知らないからです。
他人を褒める習慣がないというより、
自分自身が確立されていないので、何かの拍子で動揺することが多いのが原因です。
これを解決するには、まずは自分自身に焦点を当てることです。
自分勝手になるのではなく、自分自身を磨いて改善していくということです。
それによって他者との距離が生まれるかもしれませんが、それを怖れていては自分を確立することはできません。
人間の魂は、それぞれ段階が違います。
それぞれに学ぶべきものがあって、親や仲の良い友達であっても、同じであることはありえないのです。
ですからまずは、自分自身を律することを考え、嫌な相手がいても気にしないことです。
この気にしないも難しいことですが、良くも悪くも自分に集中していれば気にする暇もないはずです。
あとは、自分から愛するように心がけること。
それが愛されるための一番の近道かもしれません。