「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
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2章 その2 「人間は神様の子供なのです」

私たちは最初から霊的な存在である。これはわかりましたね。


では、そもそも霊(スピリット)とは何か。これも非常に難しい問題となりますが、人と霊の関係を少しばかり説明していきましょう。


まず普遍的な意味での霊という言葉があります。これはすべての根源的創造エネルギーを指しており、宇宙や物質を創っている素材の意味合いがあります。


もう一つが知的存在、意識としての霊です。こちらのほうが私たちにとっては馴染み深い霊の意味合いでしょうか。人間の霊といえば、こちらの意識を意味することが多いですから。


また、生命力そのものを霊と呼んだり、法則を霊と言ったりもします。
この段階ですでにややこしいですね。実際ややこしくて、その時々の会話の内容によって霊の性質を限定しないと話がわかりにくいことが多いです。とりあえず霊とはすべての要因となるもの、と考えるとわかりやすいです。


おや? すべての要因。どこかで聞いたことがありますね。そうです、神様です!
神は完全ですから、すべての存在を有していることになります。生命も法則も、ありとあらゆるものが神様に起因しています。


となると、神自身が完全なる霊ということになります。


神とは全宇宙を埋め尽くす霊、つまりは生命の基礎となる巨大な霊でもあるのです。
宇宙はすべて霊の力によって創られています。知性にせよ物質にせよ、無限の霊が素材となってすべてが生まれていると考えればよいでしょう。


なので、神のことを大きな霊、偉大な霊として「大霊(だいれい・たいれい)と呼ぶことがあります。


まあ、このあたりは人間が知覚できないものすべてを霊的と呼ぶしかないので、実際のところ実にデリケートかつ大雑把なものになっています。
事実、地球がなぜ動くのか、太陽がなぜ輝くのかなど、その根源的エネルギーについては何もわからない状態です。そういう力があるんだな、くらいに思うしかありません。



さて、その完全なる霊である神様は、人間をお造りになりました。


その際に神はご自身の霊を分裂させて、人間を自分にそっくりな存在として造ったのです。
これを分霊(ぶんれい)と言います。自分の霊を分けて増やす、簡単に言えば子供のことですね。お母さんが子供を産むことと同じです。


こうして神から分かれたので人間の霊の本体を、神の分霊、神の火花、と呼んでいます。輝く太陽から生まれた火花の一つ。なんだか詩的な表現ですね。


霊である神から生まれたので、人間は最初から霊であるのは簡単な話ですね。これで前回のお話とつながりました。


この言葉はいろいろな宗教でも語られています。ただ、地上的な意味で考えると肉体が神様とそっくりと勘違いすることがあります。人間的な神様の概念が生まれたのは、やはりこうしたことが影響でしょうか。
改めて言いますが、似せたのは霊の部分です。霊自体には形態はありません。



さて、ここで注目!
もともと同じ霊を分けて造ったので、人間の中には神様と同じ力が存在していることになりませんか? 団子をちぎって団子を作ったら同じ内容物の団子になりますね。


そうなんです。人間は神様と同じ力を潜在的に宿しているのです。


ただし、潜在的にです。不思議なことに神様は、人間を無垢で無知で真っ白な純粋な存在として造りました。まるで赤ん坊のようにです。
その赤ん坊の中にご自身の可能性のすべてを種のように内包したのです。種は芽が出るまで小さくて、とてもちっぽけなものです。でも、人間の受精卵が赤ん坊になって大人になっていくように、しっかりと遺伝子という設計図が存在するように、人間の中にも神様の遺伝子が宿っているのです。


そのことから、人間のことを「ミニチュアの神」と呼んでいます。


ミニチュア模型と同じで、小さな神という意味ですね。


神に造られたものである以上、人は完全なる神と同一ではありませんが、同じ可能性を宿しているという意味でそう呼ばれています。
こうして人間は、ある意味において神様とは逆の存在になりました。神様の無限の可能性を宿しながらも、何も知らない、完全とは程遠いもっとも小さな存在に。


不思議ですね。これだけ聞くと不思議でしょうがないですが、人生を歩んでいくごとに、これこそ神様の叡智と慈悲であることがわかってきます。


まとめましょう。


人間は神の分霊、子供として造られたのです。
だから最初から霊であり、神様と同じ性質を潜在的に有しています。
大霊である神が永遠に存在し続けるので、同じ霊の人間もまた不滅なのです。





2章 その1 「人はもともと霊的存在で、霊こそが人間の本体です」

もうみなさんは霊人さんの存在は知っていますね。人は死なないので、肉体の死後も生き続けると。こうした知識のすべては実際に死んだ霊人さんからもたらされていることは周知のことです。


では、それはいつからでしょう?
いつから霊人さんになるのでしょう?


たとえば人が死んだとして、死んだ瞬間に霊が生まれる、という考え方。それはちょっと無理がありますよね。魔法じゃないのですから、そんな感じで死後にいきなり生成されるとびっくりしちゃいますよね。なんかしっくりきません。


では、逆に考えて、人はもともと霊的な存在だとすればどうでしょう?
最初から人間は霊的な存在なのですから、肉体を失っても問題ありません。
それはまるで脱皮するようなものであり身体についた垢が剥がれるようなものです。それならばしっくりきますね。だって、いきなり生まれるよりよっぽど合理的な話ですから。


先生は、六歳くらいの頃に「この身体はまるでロボットだな」と思ったことがあります。
自分がこの身体に乗って操縦している感覚が不思議で不思議で、初めて乗ったガンダムのように手を動かしたり足を動かしたりしてよく確認していました。
何をやっても違和感があって、正直好きにはなれませんでしたね。


大人になってからはだいぶ馴染みましたが、二十代でも「まったく、このロボットはすぐに疲れるし不便で使いにくい」と日々愚痴を言っていたものです。
もちろん肉体は普通のロボットよりもっと高度で複雑なものではありますが、イメージとしてはこれと同じだと考えると理解がしやすいかもしれませんね。


となると、この自分が自分であるという意識は、霊という本質に宿っていることになります。


すなわち霊こそが人の意識の本体なのです。

だから仮の宿である肉体が滅んでも意識はなくならないわけです。
私たちはもともと霊であり、今は肉体を持っているにすぎない。霊人さんと私たちの違いは、肉体を保有しているかどうかだけの違いなのです。


ですから、死んで霊人さんになることを怖がることはまったくありません。
なぜならば、みなさんはもう今の段階から霊人として生きているのですから!
ただ今は肉体という(融合系)ロボットに乗っているので意識できないにすぎないのです。


私たちの本当の意識は霊にある。本体は霊である。
ここ、とても重要ですので覚えておいてくださいね!


これを知るだけで幽霊さんなんて怖くなくなります。
「ああ、普通の状態に戻った人なんだな」と思えばよいのですから。
幽霊さんについてはそのうちちゃんとお話しますね!あんなの子供だましのお遊びでしかないのですよ!




2章 その0 「自分の心に素直になろう!」

さて、今日から次の章に入りましょう。
第二章は、「人間とは何か」です。


人間とは何か。これは昔から研究が進められていることで、みなさんも年頃になれば一度は考えることでしょう。どうして自分という存在があるのか、この心は何なのか、誰しも考え悩むことです。


ただ、今までの地上の研究からでは正直はっきりした答えは出ていません。
人間の身体の中、細胞の中、遺伝子などはわかっても、結局のところ心や意識というものを目で確認することができなかったからです。
ですから、人によっては「人間なんて動物と同じ」とか、「脳が作り出した幻だよ」と思ってしまうことがあるのです。


そこから生まれたのが、いわゆる唯物(ゆいぶつ)思想です。物的なものだけがすべてで、人間は死んだら終わりで何も残らない、という考え方です。
ここまで時代が進んだ昨今でも、たまーにテレビでこういう発言をする人を見かけることがありますが、だいたいは本心ではありませんので、みなさんは鵜呑みにしないようにしてくださいね。


そういう人は、人生に疲れて少しばかり心が曲がってしまって、斜に構えているだけなのです。信じたくても信じきれないほど、人生の嫌な部分を見てしまっただけにすぎません。


※斜(しゃ)に構えるとは、あまのじゃくであること。つまりは、ちょっと皮肉を言ったり、物事を捉える際にまっすぐ受け取れない人のことです。大人になるとこういう人をたまに見かけます。そういう人は心が悪いのではなくて、恥ずかしがり屋だったり素直でないだけなので、みなさんはその人の傾向性を理解してあげましょう。


実際、唯物思想の人は本当に少数で、大半の人は心の存在、魂の存在を意識して生きているはずです。唯物思想を少し考えてみれば、まったくもって価値がないことがわかるからです。何も残らないのであれば、自分たちが毎日がんばる理由がなくなりますからね。


仮にそうだとしても、世の中を楽しむためには全力で生きねばなりません。遊びだって本気でやらないと楽しくないでしょう? そうしてちゃんと人生を楽しんでいると、輝く自分が認識できて、「ああ、こんな素晴らしい心が死んで終わるはずがない」という確信が芽生えてくるものなのです。



さて、みなさんはもう唯物思想が真実でないことを知っていますね。
人間が死んでからも生き続けることはすでに述べました。神様が人間をそうお造りになられたからです。それが自然法則として自動的に機械的に発動するので、人間は肉体の死後もずっと生き続けることができます。


そして、霊人さんがしっかりと意識を持っていることから、心も永続することがわかります。

ただ、肉眼では人の心を見ることができませんから、多くの人は迷ってしまうわけです。心の存在は感覚でわかるのに(なかったらこんなに大変な思いはしませんね)、それが物理的に立証できないで困っている。


それも仕方ありません。そもそも心は肉体とは違う次元にあるものだからです。
存在はしていても目では見えません。心には心の振動数が存在していて、それに合わせないと見ることができません。一方で、近くにいる人の心がなんとなくわかるのは、同じ振動数の心と心が触れ合っているからなのです。


さてさて、このように私たちは案外自分のことを知らないものです。
自分の身体だって、普通に生活している間は心臓や脳がどう動いているかなんて意識しませんよね。でも、毎秒ものすごいことが身体の中で行われています。食べたものは消化されますし、細胞は分裂し続けます。まったくもってすごいことです。


この章では、具体的な人間の仕組み、構造を一緒に見ていきましょう。
それを知るだけで、今ある苦しみがなぜ存在するのかを理解しやすくなります。
もちろん心霊学なので、霊的な側面を中心に見ていきますよ!


そして、霊的なことを勉強するうえで重要なことは、単純な証拠ではなく、自分の経験や感覚で正しいことを選ぶことです。なにせ目に見えない分野です。論拠と言ったところで霊視力がない人間には実際に見ることができません。


大事なことは、みなさんの心が「すっきり」することです。
今の世の中がこうだから、ではなく、自分がこれならばすっきりすることを優先するのです。これは日々の心の持ち方にも使える大切なテクニックですので、少しずつ慣れていってくださいね。


何事も自分の心に素直になると真実が見えてくるものです。