1章 その14 「神を信じなくても大丈夫です」
さて、まだ少しだけ神様の項目は続きますが、ここまで聞いてみて
やっぱり信じられない
という人がいてもおかしくありませんし、まったく変ではありません。
ここでも重要なことがありまして、
べつに神を信じなくても大丈夫です
神は自分を信じろとなど誰にも強制していません。
神の愛や叡智というものはそんな狭いものではありません。今まで述べたように無限で永遠のものですから、まったくもって関係ないのです。
だって、そもそも神様を止めることなんて誰にもできないからです。
みなさんが子供から大人になること、植物が生長して花を咲かせること、海の生き物が生まれること、星が動いていること、太陽が輝くこと、宇宙が存在すること。
これをみなさんは止められますか? 無理ですよね。誰にだってできません。そもそも人間なんてそんなものなのです。
みなさんも知っての通り、地震や津波には対抗できません。多少防ぐことはできても、発生そのものを止めることはできないのです。
神の法を守らねばならないのは、それが誰にも止められないから、でもあるわけです。私たちがどんなに異論を唱えようと、神様なんていないと言ったところで、神の法が停止するわけでも免除されるわけでもないのです。
そうなると、最終的には神様に従うしかなくなります。なにせ、私たちが生きていることから死んでからも生き続けることまで全部強制的なのです。どんなに嫌だと言っても自然現象として絶対に起こることなのです。
このことから、私たちは神様に強制されていると勘違いして、アニメやゲームでは「神=嫌なことを押し付ける存在」と認識されて神殺しとかカッコイイ名前が生まれたりしますが、まったくもって勘違いなのです。
酷い世の中にしているのは人間の自由意志ですし、物事を知らないからそういう答えになってしまうのです。思えば先生もそういう作品を作った覚えがあります・・・若かったですね。若いとは、そういうこと、無知なことでもあるのです。
もちろん、死んでからも神様を信じていない人は(理解が低いレベルの人には)それなりにいます。でも、その人たちは何も信じるものがないので日々苦しんでいます。
そうなんです。神様とは、自分を助けるために存在するのです。
多くの患者を診てきた、ある外国の精神科医の人が言うには、人間は35歳以上になったら神を信じなければ精神的に安定を保てないそうです。
みなさんも今の段階で毎日いろいろな悩みがあると思います。友達との人間関係、学校での勉強、将来のことなど。それは大人になってからも変わりません。もっともっとつらくなっていきます。
そんな中で、人は神を見つけるしかなくなります。すべてが神様によって生まれているので、それを知らねばつらい時に頼りになるものがないからです。
神の法があるから正義と公正は絶対に保たれるんだ。だから自分は常に正しいことをしよう。
そう思えるのです。
多くの人が自分の利益のことを考えて反対している時、正しいことのために自分を犠牲にするのは難しいことです。それでも貫けるのは信じるものがあるからです。
みなさんは、信じるという力を身につけなくてはなりません。
それは無意味で無価値なものを信じるのではなく、自分の経験と世の中を勉強して、これは間違いないという確信を得ることです。
ただ、もし神様について一生信じることができなくても罰せられることなんてありませんから安心してください。
神様を信じている人が立派な人ではないのです。信じていて自分勝手なことをする人より、神様を信じていなくても人のためにがんばっている人のほうが、はるかにはるかに立派です。
神様は絶対の公正なので、そこをちゃんと評価してくれます。
もし神様を信じなくて不利益があるとすれば、「どうしてあの時に信じられなかったんだ」と自分で自分を責めるだけのことです。
それは罪というより、神を信じていればもっと大切なことを優先できたのに、人生を無駄にせずに済んだのに、という後悔に近いものなのです。
それも安心してください。神様は何度でもチャンスを与えてくれます。
さすが神様。慈悲深いですね。そうでなければ信じる価値もありません。常に最高のものを信じるように努力してください。法は絶対なので必ず報われます。
信じるとは、報われることを知ることなのです。
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