法則は自動的に機械的に作動します。
これをよく考えてみてください。
すると、これが完全なる公正であることがわかりますね。
原因と結果は機械的に完全なる形で発動します。
その人がどんな言い訳をしても、やったことに対しては自動的に結果が出るわけです。
良いことをすれば良い結果が生まれます。他人に優しくすれば、相手も自分のことを慕ってくれます。相手に悪いことをすれば、相手は自分を恨みます。
もっと簡単な例を出せば、お茶碗を床に投げつければ割れます。屋上から飛び降りれば大怪我をします。
こうしたことは特に何の違和感もなく、当然の原因と結果として生まれます。
これが自動的で発動しないと私たちの生活が成り立たないわけですね。
気まぐれで止まってしまっては大混乱になってしまうからです。
神様は決まりを作って、それを守って生きるように教えました。
ただし、それを守るかどうかは自分の自由なのです。
努力した人にはちゃんと努力した結果が出ますが、努力しない人には努力しなかった結果が出ます。今まで散々言っているように、これを同列には扱えないわけです。
なぜならば、神様は絶対の公正だからです。
どんなにかわいそうに思っても、法を破った人とちゃんと守っている人とを同じに扱えません。だって、そうでなければ公正ではありませんからね。
法則である神様は、自ら作った法則を破ることはできないのです。
自分自身が法則だからです。もし破ってしまったら、自分そのものを否定することになってしまいます。
決まりとして、「これを破った人はこうなる」と決めた以上、それを忠実に実行しないと不公平になってしまうので、神様が誰かを特別扱いしたりはできないのです。
神様はすべてを愛しています。
すべての人を平等に作っています。
だから、各人が努力した分に報いるために、誰も特別に扱いません。
努力した人は、努力した分を必ず受け取ります。それが法則です。
そうです。この原因と結果の法則というものは、神様が絶対的に公正であることを示すものでもあるのです。そして、それこそが絶対の愛でもあるのです。
ただし、何度も言っていますが、法則には無限の形がありまして、すべての人に平等に正しく作用することになっています。
ですから、その人の特別な事情もちゃんと考慮されて発動します。
これが神様のすごいところです。
人間の社会だと、そうした事情を考慮しないで同じ結果を出せと言われてしまいます。
みなさんだって、数学が得意ではないのにテストで90点取れと言われても大変ですよね。その日はとても体調が悪いことだってあります。そもそも目が不自由かもしれません。
そうしたすべての条件を考慮して、一人ひとりに対して公正になるように作用するのです。神様ってすごいですね!! だから完全なのです。
その中でどうがんばったかをちゃんと神様は見てくれています。
完全なる法則が、機械的に間違えることなく、みなさんの努力に報いてくれます。
まずは神様が公正であること。これを知ってください。
先生との約束ですよ!!