「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

〇HPはこちら(制作途上)
http://mirainsophia.net/

私生活を見れば、ある程度はわかる

世の中には色々な考え方があり、そのどれもがそれなりに説得力がありますが、
その人間そのものの質を判断する最高の材料が私生活です。
私生活での言動、生活態度を見れば、その人のレベルがだいたいわかります。


重要なのは、いつも言っているように自己犠牲の割合です。


生活の中で何を大切にして、どれくらい自己犠牲を果たしているかによって
その人間というものをよく知ることができます。


といっても、べつにすべてを犠牲にしているから偉い、というわけではありません。
各人には各々に役割があって、特定の目的を持って生まれてきている人もいます。
特に経済に関係する使命を持っている人は、仕事上お金が必要なので、
見た目は富豪という形式を取る可能性もあります。
その場合、生活水準の問題として場合によっては悪く見えるかもしれません。


ただ、その人の言動を見ればある程度のことはわかります。
霊の質が高い人は、自分の欲望や欲求を肥大化させたりすることはありませんし、
他人に対して暴言を吐くこともありません。
自分の仕事を粛々とこなし、周囲との調和を優先していることでしょう。


私たちが何かの物事を見る際、そこを重視して見ないといけません。


たとえば今ニュースになっている神社の一件にしても、
「神に仕える人が、どうしてそんなことを?」と聞かれましたが、
その答えは簡単。


その人たちは、黄金の神(お金・欲望)に仕えていたから


と簡潔に述べることができます。



宗教にせよ経済の問題にせよ、人を見る際は必ず私生活を見るようにしましょう。
そうした目を養えば、見た目や環境に左右されることなく人の本質が見えます。


ただし、神というものは実に賢いもので、
そうした悪と呼べる人間を上手く利用して人類の進化を促すことがあります。
攻撃的な人間がいたとしても、それはそれで使いようがあるものなのです。
それによって今ある違う悪に対処することもできるのですから、
毒も薬になるという好例だといえるでしょう。


先生が今まで色々試してきて、やっぱり最終的に確信したことが、


自己の欲望を抑えること
その習慣を作ること


です。


これが自己の成長にとって一番良く、一番重要な要素になることは確信しています。


不思議なことに、そうしたほうが満足するのです。


少ないもので満たされるので、何かを犠牲にすることも少なくなるでしょう。
それを可能にするのは習慣。何事も習慣なのです。

幸せになるための「自己犠牲」の力

自己犠牲と聞くと、自分がマイナスになることを想像しますが、
実際のところこの世界、この宇宙でマイナスになることは存在しません。


なぜならば、与えた者は与えられる、という神様が作った因果の法則があるからです。


そして、この自己犠牲とは、すべての物事を幸せに導くためのカギなのです。



たとえば身近なところで考えれば、私たちは常にグループを形成して暮らしています。
この地球だけでもまず人間という種があり、各国家があり、
私たちでいえば日本で暮らしており、各地域があって、各々にグループがあります。


最小単位では家族というグループがありますし、仮に家族がおらずとも
人は独りでは生きていけないので誰かしらとは関わって生きているはずです。
そうしたグループが存在する以上、嫌でも何かと関わっていないといけません。


ついつい忘れがちになるのですが、幸せとは常に誰かとの関わりの中にあるものです。
自分独りだけで得る成功は存在しません。
たとえ達成感だけを味わうのが目的でも、誰もいない世界でやっても味気ないもの。
本当に独りきりで誰からも見られなければ、それは絶対に楽しいものではないでしょう。


幸せとは、他者との間に生まれる絆、共鳴する調和の中にあります。


そのグループ内が笑顔で安心できる空気に包まれているだけで
思った以上の満足感と充足感を得るものなのです。


人間の幸せは常に調和とセットになっている


これを忘れないようにしましょう。



ということは、自分が幸せになるためにはグループをより良くしなくてはいけませんし、
すべての人間にはグループに対する責任が生じます。
それが嫌でたまらなくて、好き好んでやっているわけではないグループであっても
所属しているからにはそこに対する責任があるわけです。


多くの人、おそらくすべての人間は幸せや充足感を求めています。
にもかかわらず、グループに対して無関心であれば、
結局のところ自分が求めるものは手に入らないということになるのです。


いやいや先生、違うグループに行ったら楽しかったよ、というみなさん。


それは、違う誰かがグループ内で自己犠牲をしているからこそ成り立っているものです。


調和を保つために相手を気遣ったり、グループ内が楽しくなるように努力しているからです。
その人だって、疲れているときはあるでしょうし、忙しいときもあるでしょう。
その中でも周りの調和のために自分を犠牲にしているから、
そこに加わった人がそう感じているにすぎません。


つまりは、誰かのおかげで幸せを与えられている状態です。


これ自体は悪いことではありません。
しかし、誰か一人にだけそれを任せていては、何かあったときに崩れてしまいます。
そうなれば、みなさんはまたそれを捨てて違うグループに行くのでしょう。


いつまでそれを繰り返すのですか?


という話になってしまいます。


それ自体が、自分自身を卑しめることにつながってしまいます。
簡単にいえば「あの人は薄情な人だ」「あの人は駄目だな」という烙印を押されているのに、それにまったく気がつかない本当に駄目な人になってしまうわけです。


義務を怠っているからです。
すべての人には、そのグループに対して奉仕できるだけの能力が備わっています。
それを使わないから、調和の原理を知らないからいつまでも苦しむことになります。



また同時に、みなさんが信頼できる人を見分ける一つの要素になります。


自己犠牲ができない人は、自己犠牲に対しての感受性が乏しい


のです。


誰かが自己犠牲をしていても、それに反応しないわけです。
これは霊の能力がその段階まで至っていないという単純なレベルのお話でもありますが、
そうした習慣がついていないので気がつかないことも多いのです。
誰かに与えられることに慣れすぎて、ありがたみを忘れている状態ともいえます。


子供の教育で一番大切なことが、このグループの維持と自己犠牲の精神だと思います。
なにせこれがないと社会が成り立たないので、誰もが幸せになるには必須の要素だからです。
霊の能力に関わることは簡単には身につきませんが、子供の頃に教え込むことで
やるとやらないとでは大きな違いを生み出すことになります。


といっても、先生のように強要されるのが嫌という子供もいます。
強要されなければ自発的にやる、という子もいるので、それは子供の特性や性格を見て慎重に行わねばなりません。
が、すべては扱いようなので、子供が楽しめるように教えることで、
この二つの要素を幼い頃から身につけさせることができるようになるでしょう。


みなさんが信頼を得たいと思うのならば、何事に対しても自己犠牲の姿勢で挑みつつ、
さらにいえば、自己犠牲に対する感受性の高い人を周囲に集めるのがよいでしょう。
小さければ小さいほど、これは効果的です。


一番の理想は、最小単位の家族や友人のグループでこれが常時できていることです。
それだけで日々楽しい人生が送れることでしょう。

自分の才能を磨く楽しさ

ついつい私たちは、「~があればこれができるのに」という思考に陥りがちです。
しかも一度この思考に憑りつかれると他のことが考えられなくなり、

「~がないから努力しないでいい」という最悪の思考が忍び寄ってきます。


これが一番恐ろしいところです。
しかし、よくよく考えてみると、道具ってあまり重要でないことに気がつくでしょう。


たとえば、先生は昔から絵や創作に関わって生きていますので、
子供のころに「誕生日に何か欲しいものがある?」と親から聞かれても
「僕が欲しいものはお金では買えないんだ」と言ってきました。
(もちろん、違うプレゼントはもらいましたよ!)


だって、絵が上手くなるには自分が努力するしかないわけです。
誰かを雇って良いものを作ることは可能でも、自分が上手くなるわけではありません。
あくまで自分がやらないと嫌なのですから、自分が努力するしかありません。


すると結局、銀行口座に百億円あっても、十万円しかなくても、毎日やることは変わらない、のです。


ならば、べつに必要ない、という結論に達します。


これに気がつくと、人生がとても楽になりますし、羨ましく思わなくなります。
どうせお金があっても絵が上手くなるわけじゃないしな、と思えるからです。
どこを重視するかで人生はまったく変化するわけです。



また、最近流行りのDIY(何でも自分でやる)で、
工夫次第で案外高級品の代用もできちゃったりします。

もちろん限界はありますが、所詮道具は道具にすぎません。
人間の才能、創造力に比べれば微々たるもの。


そして、道具がないからこそ能力を磨けるのです。


便利な道具は人間の潜在能力を抑えてしまいます。
今の人間が霊的能力を使えなくなっているのがその証拠。
本来ならば動物とテレパシーぐらい普通にできてもおかしくはないのです。
しかし、物的な道具が進化してしまったがゆえに、怠惰でいてもかまわなくなりました。
それでは能力は向上しません。


貧困や欠乏の中でこそ私たちは力を磨けます。


むしろ、そうした状況が欲しいから、わざわざ不便な世界に生まれてきているのです。


もし将来の仕事にどうしてもその道具が必要であっても、
本当に必要ならば背後霊がなんとかしてくれます。


神が本当に必要なものを与えなかったことは一度もありません。


もしみなさんがそれを否定するのならば、
すでに与えられたものの価値を知らないからです。

それを工夫するチャンス、それによって才能を磨くチャンスが必ず与えられています。
そして、将来の目標があるのならば、今やれることをしっかりやることで
その道具を手に入れたときに本当の価値を引き出せるようになるのです。


さあ、才能を磨きましょう。
努力ほど面白いことはありませんよ!
毎日夢中になって悪戦苦闘するから人生は面白いのですから!