「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

〇HPはこちら(制作途上)
http://mirainsophia.net/

2章 その8 「霊魂の身体である、霊体があります」

この人間の霊の部分ですが、やっぱりわかりにくいですね。
そもそも霊という意識を私たちは認識できませんから、そんなこと言われても納得できない、と思っても不思議なことではありません。


しかし人間には、霊体というものがあります。
この霊体というのが、まさに死んでから使う身体なのです!!


そりゃそうです。いくら霊が目に見えないからといって、最初から何も形態がないなんておかしいですよね。それだったら霊人さんたちは何も身体がないことになります。
でも、彼らはちゃんとした身体を持っています。霊という言葉を聞くとふわっと感じることがありますが、実はまったく違うのです。


ここに神様が作った一つのルールがあります。


私は私、あなたはあなたという個別的意識を継続するためには、必ず入れ物が必要である。


という絶対の決まりです。


根源的な霊とは、エネルギーそのものを示すことがあります。でもそれだけでは意識は生まれません。私たちのように個別の意識を得るには、必ずその媒体が必要というのが神様が作ったルール、法則があるのです。


そのためすでに霊的存在である私たちには、最初の意識の発生段階で霊体を保有していることになります。神様のルールに照らして考えると、入れ物がなければそもそも意識は存在しないことになるからです。


これは死んだあとに作られるのではなくて、受精した時、肉体が創造された時から一緒に作られていきます。私たちは肉体を持ちながら、霊魂の入れ物である霊体をすでに持って普通に使っているのです。


よく霊能力とか聞きますよね。霊視とか霊聴能力といったものです。これは霊体の目や耳を使っています


肉眼が物的次元のものを見るためにあるとしたら、霊体の目は霊の次元のものを見るためにあるわけです。同じ振動数の身体を使っているので、同じ霊的な次元のものが見える、というわけなんです。霊能力者というのは、この霊体の機能を練習強化して使えるようにした人たちを指すわけです。


肉体だってそうですよね。スポーツをやっている人とやらない人では能力に雲泥の差があります。知識や経験だって日々勉強してこそ自由に使えるようになります。こうして文章を書くことも漢字を使うことも勉強して身につけたからです。霊体も同じなのです。



ということで、本来の意識(霊魂)というものは霊体にちゃんと格納されている、と考えることができます。

いきなり交通事故で死んでも、死ぬのは肉体だけであって、本体である霊(霊体)はそのままするっと抜け出す。だから生きている。意識もそのままはっきりしている。実にすっきりする答えだと思いませんか?
そもそも車とぶつかったところで同じ振動数でなければ接触できませんから、肉体だけが吹っ飛ぶのは当然のことです。


みなさんは幽体離脱という言葉を聞いたことがあるかもしれません。バットで殴ると幽体が出るというあれです。(え? 聞いたのと違う?)
こんな感じで、肉体が生きている段階で人間が霊体を持っていることは、みなさんの生活の中でなんとなく受け入れています。そうでなければオバケの存在だって簡単に否定できちゃいますからね。


人間は、霊体と肉体、二つの身体を持っている。
意識があるのは霊体であり、肉体は物的生活をするためのロボット(媒体)である。


ということです。

ではこのままもう少し霊体について見ていきましょう!

もう一つの身体があるなんて、ドキドキですもんね!!




2章 その7 「霊の一部が魂なのです」

今回から三つの要素、霊・精神・肉体の各分野を見ていきましょう。
といっても肉体部分はもうご存知でしょうから、霊と精神の部分を中心にやっていきます。当然、最初は一番重要な霊の部分です。


さて、みなさんが一番気になるのはではないでしょうか。
俺の魂(ソウル)を見せてやる!!と日常でもよく言いますので、みなさん魂に興味津々だと思います。一時期はソウルメイトという言葉も流行ったくらいです。クラスメイトと同じく、魂の仲間ってことですね。


じゃあ、そもそも魂とは何だろう? 霊とは違うの?


こんな疑問が浮かびますよね。
世間一般でも霊は受け入れられなくても、なぜか魂は受け入れることができる人って多い気がします。だって、スパロボの精神コマンドでも普通にありますからね。霊はないのに・・・


原因の一つは、魂を自分の精神の部分と混同していることもあるでしょう。自分が自分だと思っている心が魂であると。つまりは精神の部分を魂と誤認している、ということです。


実際、おそらく私たちが自分だと思っている意識の大半は、魂のものではありません。魂とは、いわゆる霊的な意識のことであって、通常の次元ではまず顕現しない意識なのです。
こうした本を読んだことがある人は、高次の自我とか大我、高級自我とかいう言葉を聞いたことがあるかもしれません。自分の意識の、より高い次元にある霊の意識のこと、ここで言う魂のことです。


魂の用語は心霊学においても意見が分かれやすいところでして、人によって呼び方や使い方が違うこともある面倒な問題です。考えてもみてください。地上の物だって、それが新しい発見ならば呼び名すらままならないことはよくあるでしょう?
目に見えず、物的な感覚では理解できないことならば、意見が分かれるのはなおさらですね。仕方がないことです。


ただ、せっかくみなさんが興味津々なので、ひとまずここでは一般的だと思われる解説をしておきます。


一般的に魂とは、霊の一部を包んだものを言います。


この包むという言葉も的確ではないのですが、地上の言語ではそう呼ぶしかない現状です。
私たちは霊という本体を持っていますが、それはあまりに大きな意識体です。これは少し考えてみればわかります。人間の霊は、無限の神様から分かれた存在です。神様は全宇宙よりも大きいのですから、その分霊ともなれば、それはもう途方もなく大きいに決まっていますね。


そんなものが地上の人間に理解できるわけがありません。というのも地上で表現している人間の意識は、そのごくごく一部、大海の一滴、氷山の一部でしかないのです。
本体の霊というのはとっても大きくて、これを全部地上で理解するには脳の情報量では足りないのです。そもそも個別的体験をすることが地上での目的なので、全部を知る必要性がないともいえます。


これも再生(輪廻転生)のところで少し述べますが、一般的に自分だと思っている意識はパーソナリティーと呼ばれるもので、これは霊人さんになると消えていきます。情報が消えるのではなくて、全体の霊の意識の中に融合していくのです。
もともとそれは地上時代で個別的体験をするために用意されたものなので、一種の制服のようなもの。卒業すれば制服はしまってしまいますね。でも、みなさんが小学生や中学生、高校生であった記憶と体験は消えません。それと同じです。


こうして地上で個別的に意識を表現するためには、各惑星の大気を凝縮し、霊の雫としての魂を生み出す必要があります。霊が惑星の上で生活するための媒体が魂、と言ってもよいでしょうか。霊と魂はつながっているので、日本で魂のことを霊魂(れいこん)という言い方をするのはそのためです。


これはとても便利な言い方です。両方使ってしまえば迷うこともありません。


場合によっては地上時代に表現されている霊の部分を魂、肉体の死後の意識を霊と言うこともあります。また、人によっては霊をもっと大きく捉えて、魂を個人単位の霊であると考える人もいます。
もっと簡単に考えると、私たちがすでに表現できている霊的意識の部分が魂とも呼べます。まだ表現できていない無限の部分と、今まで魂として表現した部分の総体が霊であるといってもよいでしょう。


ね? 難しくてややこしいでしょう?


地上だって出世魚などは、成長時期によって呼び名が変わるのです。これが霊となれば、もうそれは大変なことです。


もともと霊とは神において一つの存在ですから、そこをどこで区切るかという話になるわけです。
たとえば人類を大陸で分類するか、国家で分けるか、組織で分けるか、家族で分けるか。それと同じでカテゴリーを大きくするか小さくするかで意味合いが変わってくるのです。


そこは結局言葉の使い方にすぎません。あまりこだわらないほうがよいでしょう。重要なことは、私たちの本質は霊である。ということです。
神様がご自身に似せて不滅に作ったのは霊の部分だけです。霊だけが永遠に残る神様の遺産ですので、霊にすべての情報があるわけです。


ただし、霊人さんも簡単に霊のすべてを意識することはできません。
実際に死んでも理解できないほど霊とは巨大な存在なのです。霊人となってからも何千、何万、何億とかけて全体像を知っていくのですから、これはもうとんでもなく大きいものなのです。


ですから、自分だと思っているものは常に全体の一部でしかないことを覚えておきましょう。
そしてもう一つ、霊は人の美しい心であると言いましたね。なので、魂という霊的意識は常に美しい可能性を秘めているわけです。誰かに優しくしたい、正しくありたいと思う心は、すべて霊の意識から生まれているのです。


霊魂とは善性から成り立っている、ということも覚えておきましょう。
すべての人間には本当の高貴さや優しさが眠っているのです。




2章 その6「人間の身体の構造を知りましょう」

次は人間の身体の構造について見ていきましょう。
私たちの身体の構造を知ると、霊的という意味がかなりわかりやすくなります。というのも、人間は最初から霊的な存在だという一つの証拠がここにあるからです。


まず、人間とは三つの要素からできています。
一つはみなさんご存知の肉体。もう一つは、私が私だと思っている意識です。これは言うまでもないことですね。ご飯を食べればお腹一杯になります。同時に心も満たされてご機嫌になります。ここを疑う必要はありません。


そして、最後の一つがお待ちかねのです。
霊が意識の本体であることはすでに述べましたね。神様から分かれた生命そのものであり、霊があるからこそ人間は生きているわけです。


ゆえに人間は、霊、精神(心)、身体を同時に併せ持つ複合体である、といえます。


人間は、霊的な次元、精神的な次元、物的な次元に同時に存在する。


このことがわかるでしょうか。別々に存在しながらも一つにまとまっているのです。
よくたとえで出されるのがコーヒーと砂糖の関係です。砂糖を入れると溶けてしまいますが、なくなったわけではありませんね。先生が小学校の頃には、理科の実験で食塩水を熱して塩を取り出す実験をしました。もしかしたら卵などを浮かべて浮力の実験をした人もいるかもしれません。


このように見えなくても溶け込んで存在するものは身近にたくさんあります。電波だってそうですね。空気だって窒素や酸素の集まりです。それを肉眼で見て吸っているわけではないですよね。
霊や精神も同じように考えるとわかりやすいです。三つが混じり合って一つの存在として成り立っています。砂糖と塩が混ざったコーヒーみたいな感じです。


ただ、その次元、振動数があまりに異なるので少なくとも物的な感覚では知ることができないというわけです。


すでに心が肉眼で見えないことは学びました。次元が違うからです。となると、肉眼で見えず、精神でも感じられない以上、霊はまたさらに次元が違うことになります。


これは当然で、そもそも肉体の目は物質を見るために造られているからです。同じ振動数の物的世界が肉眼を通じて見えるように神様によって設計されています。だからそれとは異なる振動数の世界が見えないのは当たり前なのです。


整理してみますと人間は、意識と生命の本質である霊、地上で表現している心という精神の部分、それと生身の身体を持っていることになります。
みなさんが普段意識しているのは、主に心と肉体の部分です。霊を感じられないのは、それだけ次元が遙かに違うことを意味しています。


では次は、この各三つの要素について細かく見ていきましょう!