「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
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2章 その17 「人間と天使」

人間という存在を知るうえで、天使という存在を知っておきましょう。
ついに出てきましたね、天使さん。みなさんも興味津々といったところでしょうか。ここでは人間が何かを知るために少しお話いたしましょう。


よく神話で天使が出てきますね。一概に全部間違いではないので難しいところですが、天使は実在しています。


一番簡単な人間との違いが、彼らは物的体験を得ないで成長する霊的存在である、ということです。


そもそも人間とは、地上に生まれて物的体験を経て成長する存在として神様に造られました。一方の天使は、肉体を持たないで成長できるように神様に造られています。最初から霊の世界で暮らしている存在なのです。


霊界の上層部では、創造された時から光輝く存在としての天使がおり、神様から与えられた任務を果たしているといいます。


えー、そんなのずるい! みなさんがそう思うのは仕方ありませんね。今まで述べたように、肉体とのギャップで苦しんでいる人間からすれば、地上生活はつらいことばかり。良いことなんてないように思えます。
でも、次の章でお話しますが、肉体で生活することにはメリットがあるのです。ある意味において、人間は恵まれている存在でもあるわけです。そもそも生命に優劣はありません。それぞれに役割がある、と覚えておきましょう。



一般的な天使の主な役割は、人間の成長の手助けと、自然界の成長維持、それと法則の管理です。


天使は赤子である人間を手助けするように神様に命令されています。至る所で天使は人間を手助けしてくれるのです。たとえば人間が死ぬ際、シルバーコードを切る時にも死を担当する天使さんがいて、みなさんの霊魂が痛みを感じないように優しく保護してくれます。


人間の成長を手助けする天使さんは至る所にいます。病気の人に治癒エネルギーを提供している天使もいれば、危険から守ってくれる天使さんもいます。


こうした天使さんは、守護霊さんと同様に人間一人ひとりに付いて見守っています。神様にいわれて、みなさんを守るように導いているわけです。これは霊人さんの守護霊とは別の存在なのですが、人間には区別がつきにくいので誤解されやすいようです。


日本では仏教の影響か、進化した霊人さんを仏とか神とか言ってしまうのと同じで、キリスト教圏の人々は、霊的な存在は何でも天使と言ってしまいます。それで誤解が生じやすいわけです。天使の本を読むと、守護霊さんや指導霊と混同していることがありますが、一応別の存在ということです。


かつて、人間がまだ成熟していない頃は、天使が守護霊さんの代わりをしていました。その後、人間が進化していき、霊人さんが一定の数に達すると、守護霊の役目を彼らに任せることになりました。ですので、混同があるのも仕方ないことだと思いますね。ただ、今は守護霊さんはほぼすべて人間の霊人さんです。


この天使のことを守護天使と呼んでいます。彼らが守護霊さんと違うのは、みなさんの帳簿(成績表)をつけているところです。


えー!? ほんと!? 学校だけでも最低なのに、天使さんまで!!
みなさんがショックなのは仕方ありません。先生もショックです。


日本では、閻魔様のお話がありますね。死んだ後、罪が書かれた帳簿を見せられるみたいなお話です。これは事実というか、ちゃんと天使さんが帳簿をつけているのは間違いないようです。彼らは法則がしっかりと維持できているか監視する役目があって、みなさんの行動をしっかり見守っています。まさにお天道様は見ているわけですね。


でも、だからこそ平等なのです。小さな善行までしっかり評価されるのです。


ただ、今の社会のように責められることはありません。死ぬと地上での行いについてインタビューを受けます。それが正しいか間違っているかは、自分自身の判断に委ねられるのです。(でも、反省しないとやっぱり落とされちゃいますけど)


因果律のところでお話しましたが、大天使さんともなると法則の管理も行っています。法則が維持されるのは、神様がちゃんと見張りをつけているからなのです。彼らは休む必要がないので、神様の法則が完璧に守られるようにずっと管理しています。私たちからすれば、神様そのものと言ってもよいくらいすごい存在ですね。


これもよく聞きますが、ミカエルとかガブリエルとかいう大天使がいます。彼らも実在していて、ミカエルに関しては、悪の勢力と戦う軍勢の総大将という話です。これはべつに神話のお話ではなく、実際のことです。善と悪の戦いによってすべてが進化していくように神様が世界を創ったからですね。



また、自然界の成長、動物や虫、植物や鉱物を含めてすべてのものは、それを担当とする天使さんがいまして、神様の命令によって管理しています。
こうした天使さんを人間と区別して自然霊と呼ぶことがあります。自然界の仕事をする天使さん、という意味ですね。みなさんがよく知っている精霊さんや妖精さんというのも、この自然霊に該当する存在です。


自然界の現象、我々が物質として使っているものは、基本的にこうした造化の天使さんたちによって維持されています。彼らは分霊あるいは念霊と呼ばれる配下の精霊さんを使役して、地球そのものを構成しています。


よくアニメやゲームでも、地水火風の精霊さんが出てくるでしょう? たまにブームが来て、こうした精霊ものの作品をたくさん見かけることがあります。昔から大人気のネタなのです。
それもそのはず。実際にはちゃんと四大元素の精霊さんがいて、何か起こる際には彼らが力を使っています。たとえば火が起こる時、そこには火の精霊あるいは妖精さんが力を使っています。風が起こる際にも、水があるところにも。このように至る所に精霊さんの力は満ちているわけです。


これを総合的に考えると、地球そのものが自然霊の集合体である、と言うこともできるわけです。



ここで少し捕捉が必要かもしれません。


天使も、肉体を持たないだけで霊的な進化は普通にしていきます。すべての霊的存在は進化するように造られているからです。当然、意識があるので霊体も持っています。


べつに肉体を持たねば成長できない、なんて決まりはないのです。霊界においても普通に成長しますし、むしろそれが普通の状態です。天使には天使の進化の過程があるわけです。
人間とは仕事の関係上、進むルートが違うので別の存在に思えてしまいますが、その中身自体は同じ神様の子供であって、地球圏霊界を脱する頃には最終的には同じ存在となっていきます。


ここで補足を入れたのは、こうして成長する天使さんと、道具としての精霊さんは別に考えねばならない点です。自然現象を担当している精霊は、天使が生み出した念霊であって、それ自体は役目が終わると消えていきます。
それとは別に、ちゃんと自我を持つ妖精さんがいて、それが成長していくと天使になる、というわけです。昔話でも、桜の木の妖精さんとかいますね。そのように、彼らは植物などの進化を仕事としながら、そこで体験を得て成長していくのです。



このように一概に天使といっても、役割に応じて、それはもうすごい種類の存在がいるわけです。前回お話した動物の霊を管理するのも彼らの仕事です。天使さんは主に造化の仕事をしているわけですね。私たちが機械を造れるのも、地球の鉱物や物質があるからです。それを造っているのが自然霊さんたちです。


また、日本では天使のことを昔から龍神と呼んでいます。旧日本昔話でも龍が出てきましたね。(古いですか?)


彼らの霊体の本体は竜体と呼ばれていまして、まさに人間がアニメやゲームで見る竜のようなの姿を取ります。各地に龍や蛇の伝承が残っているのは、このためです。お天気を操る龍神さんは、雷や雨を降らすときに竜体を使います。霊視能力がある人は、ごくごく稀に空に龍の姿を見ることがあるわけです。こうして「龍神=雷・雨」という概念ができたというわけです。


天使と龍神の名称のどちらを好むかは、それぞれの民族や土地の習慣によるでしょう。そこに意味はあまりありません。彼らからしても「人間は私たちを自然霊とか呼ぶようだけど」程度のお話です。



さてさて、この龍神さんには、もっともっといろいろと面白い秘密が隠されています。でも、おそらくここでは不要なのでここまでしておきましょう。先生の体験上、こうした突っ込んだお話をしても、たぶんみなさんは理解できないでしょう。興味がある人は自分で調べてみましょう。


ここは、あくまで人間の項目です。人間が何かを知るうえで、最低限知っておくべきこととして書いておきました。
本当に心霊学は面白いことばかりです。世の中の秘密、それもごくごく一部にすぎないのに、これだけの面白さなのですからたまりませんね!


正直、人間が作った神話なんて現実の世界に比べたら、てんで幼稚なお話ばかりです。この世界は、もっともっと深く広いのです。ぜひみなさんもドキドキしてくださいね!!




2章 その16 「人間と動物は違います」

よく人間なんて動物と同じさ、とニヒル(死語?)な人は言いますね。サルやチンパンジーも遺伝子としては人間とあまり大差がないと言われています。


しかし、人間と動物は大きく異なります
その最大の違いは、があるかどうかです。


人間の肉体が地上の物質によって造られているので、そこだけ見れば動物と同じなのは当然のことです。動物も人間も、肉体は同じ地球の素材で構成されているからです。


ただ、人間には霊魂があります。人の本当の意識であり、神様の分霊である永遠に存在し続ける要素です。ここが大きな違いとなります。


人間は、霊的、精神的、物的な三つの要素でできていると言いました。今まで述べてきたものですね。一方、動物にあるのは精神的な分野までです。彼らは肉体的な欲求、いわゆる本能の欲求によって生きています。そこが人間との違いです。


でも先生、動物もすごく知性的な子がいるよ? 仲間同士で助け合うなんて、むしろ人間より優れているんじゃないの?


その通りです! 自然界の動物を見ていても、「仲間同士で殺し合うのは人間だけさ」とニヒル(死語)な人の言葉が聴こえてきそうで、実に耳が痛いです。しかしながら、人間が本気になればすべての存在に対しても慈悲を抱けるようになります。それは動物には不可能なことです。


しかも、よくよく考えてみると、人間はお互いに殺しあえるだけの知性を持っていることになります。それは本能を超えたところにある思考力を行使した結果です。それが悪い方向に出ているので、悪い結果になっているにすぎません。
一方の動物たちには、そこまでの判断力と思考力が存在しません。生活の向上のために、自ら物を生み出したり、アイデアを出すことはしないでしょう? そこが大きな差です。



動物には心霊能力も存在しますので、逆に考えれば精神的なレベルでもそれだけの知性と能力を有することができる、ということでもあります。


地上の人間の精神だけでも、これだけのことができているのですから、いかに霊的分野が驚異的かとも言うことができるのです。


動物が霊を持たない証拠として、動物は死ぬと個性(自分が自分だという個別的意識)を失ってしまって、各種族ごとの全体の意識と融合してしまいます。


動物とはいえ、せっかくの意識が消えてしまうのは残念ですが、それはそれで価値があります。種族ごとの霊(類魂)というものがあって、個別的意識は残りませんが、人間とは別の独自の進化を遂げていくために役立つわけです。


ただし、例外もあります。今述べたのはあくまで自然界の動物の事例。野生で暮らしてる熊さんやサバンナのライオンさんなど、人間の手が加わっていない子たちです。一方、いわゆるペット、人間の愛情を受けた動物は、肉体の死後もしばらくの間だけ個性を持続させることが可能となっています。


唯一、人間と一緒に暮らした動物だけ、個別的意識を持続させることができるのです。ペットに与えるのは、愛情です。可愛くて可愛くて、毎日強い愛情を与えていきます。その愛とは、単なる精神的オーラではなく、霊的な分野に属する波動なのです。


こうした波動には創造力があり、動物の進化を促すことができます。それによって一時的に進化が加速した動物は、霊的な次元でもある程度の間だけ個性を持続させることができるのです。
これも簡単なお話。神様の分霊である人間は、神様の創造の能力をミニチュアの状態で持っているわけです。少し言い方はあれですが、神様の真似事ができるわけなんです。


よく植物に話しかけると成長が速くなるとか聞きませんか? これも波動の原理が影響しています。こうした能力は霊的存在特有の力で、影響力を行使した結果というわけです。


こうして人間が愛を与えると、動物のレベルが一段階引き上げられ、いわゆる幽界と呼ばれる霊界の下層部まで個性を存続させることができるようになります。人間が日々愛を与えることで、彼らに一時的な意識の入れ物を造ってあげていると言うこともできます。


ですから、もしペットが死んでも、自分が死んだあとには普通に会えるので安心してください。しかもその時には、テレパシーで動物とお話することもできるでしょう。


その知性にみなさんもきっとびっくりするはずですよ!
実際に死んでからペットに会った人は、猫ちゃんの言葉があまりに普通なのでびっくりしたりします。「あまり無理をしないでね」なんて言われたら感動しちゃいますね。


動物は人間とは違いますが、とても大切な仲間なのです!
ただ、その上位者である人間には、彼らを守り、愛を与えて進化を促す役目があるのです。






2章 その15 「肉体は霊の道具。大切にしましょう!」

みなさんは、肉体を大切に扱っていますか?
夜更かししたり食べ過ぎたり、無茶な運動で壊したりしていませんか?

まあ、先生も耳が痛い話でして、二十代後半から三十代前半までの無茶な活動で目を痛めてしまいました。いまだに目の不調に苦しむ日々なので、みなさんのことは言えません。申し訳ないです!

ですが、肉体は大事にしないといけません。これは権利ではなく義務なのです。まさに神様から与えられた仕事の一つでもあるくらい重要です。


まず、肉体は意識の本体である霊が、地上で活動するための大切な道具です。この道具が傷んでしまえば、活動(体験)に大きな支障が出ます。


実は、多くの人が肉体的欲求によって、必要以上に身体を傷つけており、その結果として霊魂の意識が上手く表現できない状態に陥っています。


今の日本社会を見てください。長時間の残業や過酷な労働で身体を壊したり、精神が疲弊している人がどれだけいるでしょう。その結果、神経が高ぶってしまい、ちょっとしたことでイライラして、衝動で暴力を振るってしまうこともあります。


たとえば、何かの会話で「それって失礼じゃありませんか?」とか言う人がいます。政治家の人でもたまに見かけますね。たしかに失礼な言動ってのは日常にありふれています。お父さんやお母さんの無神経な発言に、みなさんも苛立つこともあるはずです。

でも、これって神経が過敏になっているから反応してしまう現象なのです。もし心に余裕があれば笑ってやり過ごすこともできますし、さして気にならないでしょう。常に疲れているので、肉体が精神に悪い影響を与えている状態なのです。


自分はタフだと思っている人でも、単に疲れている状態に慣れているだけ、という場合があります。多くの人はこの状態なのです。これが一番怖いですね。すでに自分で自分を制御できない段階まで疲れてしまっているのです。
昔、サッカーの日本代表だった藤田俊哉選手が、アジア予選でこんなことを言っていました。メンタルを整えるにはフィジカルを整えるしかない。と。これは本来の逆のプロセスですが、まさに真理です。肉体を正すことで精神的に落ち着きを与えて、結果として霊の意識を表に出すことができるのです。みなさんも、身体が満たされている時は心に余裕があるはずです。



疲れが精神や霊に影響を与えることはわかりましたね。
では、どうすればよいのか。


みなさんは、テレビや大人たちからの情報で、これらの労働が必要だと思っていませんか? 今ある社会のあり方が普通なのだと。なければならないのだと。


いいえ、違うのです! まったく不要なのです!


その証拠に、霊人さんからは「地上の人間は、自分たちの欲求を満たすために、必要以上に労働を課しています」と言われています。


あたかもそれが必要であるかに思わせていますが、実際は必要ないのです。先生の母親は保育園に勤めていたのですが、よくこんな言葉を聞きました。「高級車に乗って出迎えに来る親が多い。みんな、贅沢をするために子供を預けてまで働きたいんだね」と。


それぞれ事情があるので、この発言がすべて正しいわけではありません。必要だから仕方ない人もいるでしょう。


ただ、極論を言ってしまえば、人間に必要なのは最低限の衣食住だけなのです。


食べ物だって、今みたいに太るほど食べる必要はありません。これは外国の話ですが、戦時中に食料規制があったとき栄養失調が懸念されましたが、いざやってみると健康になった人がいたという話です。その他、今ある文明の多くは絶対必要ではありません。人間が生きる、ということにだけ絞れば、そうそう必要なものはないのです。

今の時代には極論に感じるかもしれませんが、神様は文明の発達を重要視はしません。まず何より心の発達を最優先します。なぜならば文明は滅びますが、霊魂は永遠に生きるからです。死んで残るのは意識だけなのです。


神様の項目で、人間には自由意志があると言いましたね。神様は人間に自由を与えており、かなりの自由を与えています。特に自分の身体や行動に関して、相当な自由を与えてくれるわけです。ただ、その結果は自らが受け取らねばなりません。肉体的欲求を満たすために労働を課した結果、精神的、霊的に影響が出るのは当然であり、その結果は自分で受け取るのです。


こうして、肉体は非常に優れた道具なのですが、欲求に負けて多くの人が壊してしまっています。そうなると、肉体が疲れきってしまって、本体である霊的意識が出ようにも出られなくなります。

特に大人になると、お金を稼がないと生きていけない! と勘違いして人生を間違えることがあります


この根底にあるのは恐怖です。そして、自分だけが良ければよい、という自分勝手な心です。すべては神様によって支配されていることを知ると、こうした恐怖も消えていきます。次の章で述べますが、お金の有無も神様によって制御されています。もしお金が入ったとしても、それはすべて神様からの借金なのです。



昔から、肉体は魂の宮と呼ばれておりまして、神聖なものとして扱われていました。肉体がなければ、霊は地上で活動できません。そもそも生まれてきた意味がなくなってしまうからです。


みなさんも肉体を酷使しないように気をつけてくださいね。今は文明の物的発達によって便利になりましたが、その分だけ誘惑が多いです。ゲームは楽しいですが、夢中になれば色々なものを失います。


当然、自分の身体が大切なものである以上、他人の身体も大切なものです。悪意で相手を傷つけることはけっしてあってはなりません。それは神に対する反逆に等しいのです。