「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
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既成宗教家の断罪

昨日の記事を踏まえての少し厳しいお話。


宗教家に対しては厳しく接するべきだと考えています。

なぜならば、現状の社会にある悪癖の多くを生み出したのは彼らの責任だからです。
人々から神を遠ざけ、宗教をやっているやつなんて頭が狂っている、という印象を大衆に与えたのは、何よりも彼らの責任です。
まあ、昨日の記事を読んだ人なら誰でもそう思うでしょう。


シルバーバーチなどは英国で始まったのでキリスト教がメインですが、
やはり日本では和製仏教とも呼ぶべきものが最大の敵だと再認識しました。

葬式や供養など、大きな誤解を招いたうえに、今でも維持し続けています。
今の現状があるのは彼らの無知が原因です。
それが仕事であるにもかかわらず完全に勉強不足なのです。
これが民間企業ならば、即座にリストラの対象になるレベルです。


以前書いた記事にも、神がすでに既成宗教を見放していることを書きました。
その結果として、先生のような人種が尻拭いをすることになったことも。




結果的に個人の自由が確立されつつあるので、これはこれでよかったのでしょうが、
その責任の重さは相当なものです。


なので、先生も宗教家あるいは、この間のように街頭で宗教を広めようとしている人間には厳しく接します。
正直、あれでも相当手加減をしたのです。
本当ならばもっとボコボコにしてあげたいという気持ちすらありますが、
それはそれで問題ですし、先生大人なので控えました。


※まあ、本当に真面目にやっている人からすれば、同じ既成宗教であっても「あんなやつらは偽者だ」と言いたいでしょう。が、どちらにしても、もはや落ちぶれたものなのは同じことです。



みなさんが宗教なんて狂っている、と思うのは当然です。
先生も昔はそう思っていました。
彼らが戦争を生み出し、人類の進化を阻害している俗物だと、はっきり言っていたくらいです。


ただし、もしそう思うのならば、


堂々と論破できる知識がないといけません。

「ここが間違っているので、あなた方の理論は破綻している」
「最初のここの部分の前提がこう間違っている」
と具体的に指摘できないといけません。
それはまさに法を学んで、法律違反を指摘するようにです。
強い心を胸に秘めて戦わないといけません。


ただ、彼らに共通しているのが「物的なことに執着している」ことなので、そもそも価値観が違う以上、話が通じないのは当然かもしれません。
彼らは幸せがどうこうを繰り返していましたが、
死体がどうこう言っている時点で、物的なことしか頭にないのです。
その段階で自らの心の存在をすべて否定してしまっています。


ただ、そういった残念な人々にも効用があります。
彼らを見て愚かに思ったみなさんは、
「地獄って何だろう?」「そういえば、人は死んだらどうなるのだろう?」
と疑問を抱くかもしれません。
それがきっかけになって知識への欲求が芽生えるでしょう。


つまりは反面教師です。
あまりに酷いものを見てびっくりして、本当のことが知りたくなる。
神が決めた以上、彼らはいずれ滅びる定めにありますが、
悪を見て善を知るように、そういった役割としては少しは存在価値があるのでしょう。


すでにドグマに汚染された人々は、ほぼ絶望的です。
それよりはまだ既存宗教に嫌気が差して「死んだら終わりだ」と考えている人のほうが見込みがあります。
なぜならば、そういった人々は本当は信じたいのです。
すがるものや、頼るものを得たいと思っているのです。
ただ確信がなく、知識がないので、今のところ「ない」と無難に対応しているにすぎません。



余談ですが、先生が対話して結局完全に駄目なのは女性ばかりでした。
女性というのは感受性に優れている反面、論理的な思考が苦手なので、
一度信じ込んでしまうと論理的な話をいっさい受け付けなくなります。
そうなるともうお手上げです。


論理を説いておきながら、論理の破綻を指摘しても、それを受け入れられないのです。
それならば論理を説かねばよいとは思うのですが・・・
そのあたりは少し不憫にも思います。

さらに依存心が強い人が多いので、これをなくすともう生きていけない、
と思うようになります。その心情を悪い連中に利用されてしまうのです。


ですから、女性が宗教に関わる際は、特に気をつけたほうがよいと個人的には思います。


ただし、一度正しい道に入れば、女性ほど頼りになる存在はいないでしょう。
私たちはまだ男女として分かれていますが、それは役割があるからです。
お互いの長所と短所を埋めあうことで、神をよりよく体現することができます。
霊的成長を遂げていけば、いずれは性という概念がなくなる統一体になっていくので
今はこうした違いを楽しむのも楽しいのかもしれませんね。