「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

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2章 その11 「人間の心は、霊と肉体との融合物です」

次は精神の部分のお話をしましょう。


特にみなさんが興味あるのは、自分が自分だという意識ではないでしょうか。これをないがしろに考える人はいませんね。世間一般の幸せの基準とは、自分の心が満たされることを指していますから。


では、ここを詳しく見ていきましょう。


自分が自分だと思っている意識とは、私はどこの誰々で、こういう考えを持って、こういう人生を送っていますと、今実際に言える意識のことです。ほぼすべての人間は、これが自分の意識だと思っています。まあ、それが普通ですよね。


でもこの意識って、本当に自分のものなのでしょうか?


またまた先生、そんな言い方で釣ろうとしても、さすがに無理だよ。と言いたい気持ちはわかります。そりゃそうですよね。自分が自分だと思っている意識が本物でないとすれば、何を信じていいのかわからなくなります。それを完全否定なんてできません。


でも、みなさんは日々暮らしていて、自分の考えに多くの違和感を覚えることはありませんか。自分が自分でないような気がしたり、本当はこうしたいのになぜか不安が生まれて妥協してしまったり、最初は低俗なものをやろうとしたのに完成したものは想像していたより綺麗なものだったり。良い意味でも悪い意味でも想定外の欲求や考えが浮かぶことがあります。


何より生まれてから「しっくりこない」と思ったことはないでしょうか。疎外感を感じたり、どうにも馴染めないと思ったことはありませんか?
ありますよね。絶対にあります。先生もいまだにそうですから。


この原因が、霊的意識と肉体意識の融合にあります。


まず、霊とはとても純粋で綺麗なものです。完全なる愛から生まれた神様の分霊は、それはもう美しくて無垢で真っ白なものです。そこに欲望というものはありません。しかし、その霊は進化のために物的な体験、つまりは肉体を使ってこの世界で暮らす必要があります。


そしていざ肉体に宿ってみると、肉体は自己を保存させるために霊に対してさまざまな要求をしてきます。食べ物が欲しい、お風呂入りたい、トイレ行きたい、子孫を残すために彼女彼氏が欲しいなど、本当にワガママを言ってきます。

多くの人は、この欲求を自分の本当の心だと勘違いしています。しかし実は、この感情の大半は肉体から生まれているのであって、みなさんの本当の心ではないのです。


肉体には肉体を維持させるための意識、いわゆる本能がありまして、それがみなさんの本当の意識である霊的意識に干渉してくるのです。そうなると霊はパニック状態になってしまったり、肉体意識に負けて違う行動に走ってしまったりするのです。


だって、霊の世界にはお風呂も食べ物も必要じゃありませんから、初めての体験にびっくりして、あまりの欲求の強さに流されてしまうわけです。こうなるともう霊魂は精神の制御を諦めるしかなくなります。

こうして常に人間の精神は、霊的な綺麗な心肉体的欲求の間で葛藤(かっとう。悩み苦しむこと)することになるのです。


たとえばみなさんが誰かに親切をしようとすると、「いやいや、関わらないほうがいいよ」と思ったり、健康のためにこれ以上食べないほうがよいのに「もっと食べよう。おいしいもん」という思いが浮かびます。これが肉体的意識の欲求です。
それに対して、霊魂から生まれる霊的意識は対抗します。「困っている人を助けることは正しいことだ」「もう食べないほうが自分のためだ」とみなさんに話しかけます。そこで迷いが生じるわけです。


さて、どうしよう。どちらの声を聞けばいいのだろう?
正しいことは理解できる。でも、どうしても欲求が邪魔をして苦しい!!
食べたい。でも食べないほうがいい。助けたい。でも、助けないほうが楽だ。


はてさて、みなさんはどちらを選ぶでしょう?


これを聞いて今までの苦しみの謎が解けた人も多いのではないでしょうか。みなさんが日々苦しむ大きな理由の一つがここにあります。


一つだけ確実なことは、良い考えが霊的な意識で、物的欲求に誘惑するのが肉体本能の意識です。


私たちの地上時代に顕現しているパーソナリティーの部分、精神的な自分という心は、必ずこの両者の影響を受けて常に葛藤しています。言ってしまえば、朝起きるときに「あと五分寝たい」ということから、人生を分ける重大な決断まで常に選択を迫られているのです。


人間の中に欲望だらけの人、利己主義にまみれた人がいた場合、この人たちは肉体意識に精神を制御されており、霊魂はほとんど活動していない(居眠りをしている)ことになります。

一方、聖人や偉人と呼ばれる人は、霊的意識の部分がより多く表に出ており、肉体意識を押し込んでいます。だから正しいことをして人々に尊敬されるのです。これが欲求に打ち勝つ、という意味です。



人生において精神や感情を統御することが大切だといわれるのは、こうして本体である霊的意識を表に出すためなのです。なぜならば、霊的意識こそが本当の自分の心だからです。