「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
心霊学や体験談もとに絵本や言葉で、より楽しく生きる価値観をご提供できればと思います。
子供~学生から、お子さんを持つ大人のみなさんまでお気軽にごらんください(*^^*)

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にじみ出る傾向性

人間は色々な情報を常に発信しています。
それはあらゆるところから出ており、オーラから感じる雰囲気だけではなく、
声、表情、話し方、目、しぐさ、すべての行動からにじみ出ます。


ですから少し注意して見ると、その人の魂の傾向性というものがわかります。
その人間がどういう状況にあって、今までの出来事がどう影響を与えたかがわかるのです。


たとえば先生が会った公務員の人は、ものすごく斜に構える人でした。
それは話していてもわかりますし、立ち方も少し斜めになって真正面に向かないので
「ああ、こういうタイプ(皮肉・あまのじゃく系)の人だな」とわかりました。
このタイプの人は学生時代にも会ったことがあるので、同じタイプだとすぐにわかります。


あと、テレビを観ていても、その人の傾向性というのは如実に出ます。
これは良い意味というより、悪いところのほうが目立つので、
自然と問題点のほうばかりが強調されてしまいますね。


先日見た障害者の人は、やはりネガティブな感情が垣間見れました。
言っていること、話し方、感情の動き、どうしてもそれらがマイナスの方向性を帯びています。
今までの体験がそういう傾向性を与えたのかもしれませんし、
もともと魂が持っているものなのかもしれません。


政治家は特に面白くて、すでに見た目にも傾向性が表れている人が大勢います。
それだけ個性的な人物であり、よく露出するのでわかりやすいのでしょう。



ここで何が言いたいのかというと、もちろんそうした観察眼を養うことは大事ですが、
それ以上に大切なのが、


他人の傾向性を見つけたときは、今度は自分の傾向性を分析してマイナスの要素がないか調べて改善すること


です。



ここで先生の傾向性を自己分析してみました。


その結果


先生は、けっこう人を馬鹿にします(語弊あり)


先生、いけないと思います!


いや、まったくその通りです。


べつに馬鹿にしているわけではなく


言葉の雰囲気に「どうせ言っても理解できないでしょ?感」があります。


うん、これ、ムカつきますね。


超上から目線ですし。



というのも先生は基本、世の中の常識というものに対して、
それが本当なのかどうか、普通の人は気にしないところを掘り下げる傾向があります。
すると、色々な事実や真実がわかってくるわけです。
案外、常識というものは偏見に満ちているものですからね。


ただ、すでに間違った常識やドグマに汚染されている人は、問題提起をしても理解できないのです。


何度考えても受け入れられないならばともかく、
それを問題だと捉えられない場合があり、最悪はすぐに忘れたりします。


それは子供の頃から塗り固められた精神構造がガチガチなので、
新しい考えがまったく入らない状態なのです。
宗教だけではなく、一般的な事柄でもそうです。


たとえば、動物愛護は大事だ、と言いながら牛肉を食べる人とか


こんな面白いジョーク(皮肉)はない、というほどのことを平然とやる人もいます。


自分が食べているものが何か。それをすでに忘れているわけです。
というより、すでに自分が言っていることすらわからなくなっています。


これが案外、大勢いるわけですね。


その事実に呆然としてしまいます。



先生は何度もこうした経験をしてきているので、
「今の社会に汚染されている大勢の人にはまだ無理かな・・・」
という半ば諦めのような感情があるわけです。
それが言葉や態度に表れることがあるわけです。


まあ思えば、学生時代から誤解されることもあったので、
それが相手の劣等感からくるものであったとしても
そうした印象を与えるのならば気をつけねばならないところです。


こうして、もっと素直な気持ち、柔らかい気持ち、愛する気持ちを強くしようと
自分を改善
するのに使えるわけです。



霊訓にもありますが、基本的には相手の悪いところは指摘しないのが道徳でもあります。
相手の悪いところを見つけたら、それを見て自分の悪いところはないかを探すきっかけにするとよいでしょう。


これはつまり、最高の道徳である「敵を愛する」ことにつながります。


されど、敵を愛するのは難しく、悪を赦すのも難しいことです。


ほんと、難しいんですよね。


そういうときは、常にこの言葉を思い出すようにしています。


「罪人ですら自分を愛してくれる人を愛せるのに、もしあなたたちもそうした人しか愛せないのならば、そこにいったい何の徳があるというのですか?」(P212)


スピリティズムによる福音
スピリティズムによる福音
幻冬舎ルネッサンス


これはドキッとしますね。


たしかにその通り。
どんな人だって好きな人は簡単に愛することができます。


しかし、普通ならば愛せそうもない人のために尽くす。
それが本物の徳であるというのは頷ける話です。
難しいからこそ価値があるわけですからね。