「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

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2章 その7 「霊の一部が魂なのです」

今回から三つの要素、霊・精神・肉体の各分野を見ていきましょう。
といっても肉体部分はもうご存知でしょうから、霊と精神の部分を中心にやっていきます。当然、最初は一番重要な霊の部分です。


さて、みなさんが一番気になるのはではないでしょうか。
俺の魂(ソウル)を見せてやる!!と日常でもよく言いますので、みなさん魂に興味津々だと思います。一時期はソウルメイトという言葉も流行ったくらいです。クラスメイトと同じく、魂の仲間ってことですね。


じゃあ、そもそも魂とは何だろう? 霊とは違うの?


こんな疑問が浮かびますよね。
世間一般でも霊は受け入れられなくても、なぜか魂は受け入れることができる人って多い気がします。だって、スパロボの精神コマンドでも普通にありますからね。霊はないのに・・・


原因の一つは、魂を自分の精神の部分と混同していることもあるでしょう。自分が自分だと思っている心が魂であると。つまりは精神の部分を魂と誤認している、ということです。


実際、おそらく私たちが自分だと思っている意識の大半は、魂のものではありません。魂とは、いわゆる霊的な意識のことであって、通常の次元ではまず顕現しない意識なのです。
こうした本を読んだことがある人は、高次の自我とか大我、高級自我とかいう言葉を聞いたことがあるかもしれません。自分の意識の、より高い次元にある霊の意識のこと、ここで言う魂のことです。


魂の用語は心霊学においても意見が分かれやすいところでして、人によって呼び方や使い方が違うこともある面倒な問題です。考えてもみてください。地上の物だって、それが新しい発見ならば呼び名すらままならないことはよくあるでしょう?
目に見えず、物的な感覚では理解できないことならば、意見が分かれるのはなおさらですね。仕方がないことです。


ただ、せっかくみなさんが興味津々なので、ひとまずここでは一般的だと思われる解説をしておきます。


一般的に魂とは、霊の一部を包んだものを言います。


この包むという言葉も的確ではないのですが、地上の言語ではそう呼ぶしかない現状です。
私たちは霊という本体を持っていますが、それはあまりに大きな意識体です。これは少し考えてみればわかります。人間の霊は、無限の神様から分かれた存在です。神様は全宇宙よりも大きいのですから、その分霊ともなれば、それはもう途方もなく大きいに決まっていますね。


そんなものが地上の人間に理解できるわけがありません。というのも地上で表現している人間の意識は、そのごくごく一部、大海の一滴、氷山の一部でしかないのです。
本体の霊というのはとっても大きくて、これを全部地上で理解するには脳の情報量では足りないのです。そもそも個別的体験をすることが地上での目的なので、全部を知る必要性がないともいえます。


これも再生(輪廻転生)のところで少し述べますが、一般的に自分だと思っている意識はパーソナリティーと呼ばれるもので、これは霊人さんになると消えていきます。情報が消えるのではなくて、全体の霊の意識の中に融合していくのです。
もともとそれは地上時代で個別的体験をするために用意されたものなので、一種の制服のようなもの。卒業すれば制服はしまってしまいますね。でも、みなさんが小学生や中学生、高校生であった記憶と体験は消えません。それと同じです。


こうして地上で個別的に意識を表現するためには、各惑星の大気を凝縮し、霊の雫としての魂を生み出す必要があります。霊が惑星の上で生活するための媒体が魂、と言ってもよいでしょうか。霊と魂はつながっているので、日本で魂のことを霊魂(れいこん)という言い方をするのはそのためです。


これはとても便利な言い方です。両方使ってしまえば迷うこともありません。


場合によっては地上時代に表現されている霊の部分を魂、肉体の死後の意識を霊と言うこともあります。また、人によっては霊をもっと大きく捉えて、魂を個人単位の霊であると考える人もいます。
もっと簡単に考えると、私たちがすでに表現できている霊的意識の部分が魂とも呼べます。まだ表現できていない無限の部分と、今まで魂として表現した部分の総体が霊であるといってもよいでしょう。


ね? 難しくてややこしいでしょう?


地上だって出世魚などは、成長時期によって呼び名が変わるのです。これが霊となれば、もうそれは大変なことです。


もともと霊とは神において一つの存在ですから、そこをどこで区切るかという話になるわけです。
たとえば人類を大陸で分類するか、国家で分けるか、組織で分けるか、家族で分けるか。それと同じでカテゴリーを大きくするか小さくするかで意味合いが変わってくるのです。


そこは結局言葉の使い方にすぎません。あまりこだわらないほうがよいでしょう。重要なことは、私たちの本質は霊である。ということです。
神様がご自身に似せて不滅に作ったのは霊の部分だけです。霊だけが永遠に残る神様の遺産ですので、霊にすべての情報があるわけです。


ただし、霊人さんも簡単に霊のすべてを意識することはできません。
実際に死んでも理解できないほど霊とは巨大な存在なのです。霊人となってからも何千、何万、何億とかけて全体像を知っていくのですから、これはもうとんでもなく大きいものなのです。


ですから、自分だと思っているものは常に全体の一部でしかないことを覚えておきましょう。
そしてもう一つ、霊は人の美しい心であると言いましたね。なので、魂という霊的意識は常に美しい可能性を秘めているわけです。誰かに優しくしたい、正しくありたいと思う心は、すべて霊の意識から生まれているのです。


霊魂とは善性から成り立っている、ということも覚えておきましょう。
すべての人間には本当の高貴さや優しさが眠っているのです。