「ミーラインソフィア」-絵本・童話・生命の知識- ブログページ

ミーラインソフィアのブログページです。
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欲しいものは、要らなくなったら手に入る

あくまでこれは自分の体験談ではあるのですが、
欲しいものって基本的に欲しいときには手に入らず、


べつにあまり欲しくなくなったときに手に入ることが大半です


欲しい欲しいと熱烈に思っているときにはまったく手に入らず、
その後何年もして「もうどうでもいいか」と思っている、というより忘れているときに手に入って「なんで今頃?」と思うこともしばしばです。


もちろん、ちょっとしたお金で買えるようなものならば
好きなときに買える人も大勢いるでしょうし、望んだときに手に入ることもあるでしょう。
ただ、今思い返してみれば、要らないときに手に入ったほうがよいことにも気がつきます。


たとえば、「~したい」というのは当然欲求です。
悪くいえば欲望でもあります。
人間の行動原理は欲求なので、これ自体は悪いものではありません。


が、力を濫用するような人間に与えては世の中が滅茶苦茶になります。
今の世の中を見ても、そうした事例はいくつもあるでしょう。
欲望まみれのときに手に入れば、人間は必ず誘惑に負けます。


ですので、すでに興味がなくなったときに手に入るほうが良いのです。


それは力を正しく扱えるようになった証拠です。


欲望が終わって、冷静になって力を見つめることができます。
なぜこの力を与えられたかを考えれば、正しく使おうと思えるからです。


もし今、何かが欲しくても手に入らず悶えている人がいれば、
こういうことを知ることで希望を持つことができます。
たとえば夢があって、「これをやりたいのに、今はどうしてこんなに駄目なんだ」といった場合でも、


我慢して修練を積んでいけば、いつか与えられるでしょう。


まあ、先生はこれを「皮肉なものだな」と思ってしまうことも多いですけど、
人間の成長というのはそうしたつらさを乗り越えた先にあるものです。


あるいは、望んでいたものより、もっと良いものを与えられます。
自分からすれば望んだものではなくても、神が与えるものはいつだって自分にとって最高のものなのです。



さて、こうなると失敗してしまう人に力が与えられるのはなぜか、という疑問が出てきますね。


これは色々とありますが、一つだけ確かなのが試練の一つということ。
誘惑に負けやすい人がその状況を望むことで、
激しい葛藤の中で試練に直面することになります。


たとえば自殺した人は、もう一度自殺しやすい環境に身を置いて自殺の誘惑に耐える、という願いを申し出ることがあります。
神がそれを許可すれば、まあ、許可したからそういう場所に生まれるわけですが、
そうしてもう一度試練に立ち向かうことになります。


お金や身分に関しても同じです。
次の人生はお金持ちに生まれて人々に奉仕したいと願い出る人もいます。


が、霊である当時はそう思っていても、実際に地上ではその記憶はないので、ついつい誘惑に負けて失敗するといった具合です。


ただ、直感や本能というもので「それは駄目だ。正しくいきなければいけない」というメッセージが常に頭を駆け巡っています。
みなさんも私も、何か悪いことをしようとしたとき、そうした警告が頭に浮かぶでしょう。
あるいは「こんな怠けていては駄目だ。もっとちゃんとしよう!」と思います。


これも生まれる前から決心し、やろうと決めていた仕事(あるいは試練)があるからです。
地上では記憶は失われていても、霊としての感覚では覚えているのです。


そして、失敗した人は死んでから、また死ぬ直前になって
「しまった、失敗したんだ!」と後悔することになります。


・・・恐ろしいですね。


先生が一番恐れているのはこれです。


こうならないように頑張りたいものですが、
人間なので日々自己の未熟さを痛感しています。
なので、失敗した人を責めるような気持ちは皆無です。
むしろ未来の自分のような気がして他人事ではありませんね。


それでもまたチャンスを与えてくれるのが神の慈悲というもの。
それを思うだけで感動してしまいます。
先生が神が偉大だな、と涙を流しそうになるのが、これを思うときです。
何度でもチャンスを与えてくれる。この慈悲の深さに感動します。